シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

「なぜ自分は育児をするのか」 をあえて考えてみる

このブログの検索ワードを見てみると、
圧倒的に多いのが「産後」のことです。
実際、例の産後クライシス記事以来
幾度となく触れてきた話題なので
そりゃそうかなぁという気もするのですが、
そこに続く第二検索語も見てみると
「産後 旦那がストレス」
「産後 夫 理解してくれない」
「産後 夫 育児しない」
といった具合なので、やはり産後の夫に対する
不満を持った方が多く見に来ているようです。

せっかく見に来て頂いたのだから…と思いつつ
最近は2歳児のイヤイヤへの対応で
正直いっぱいいっぱいなのと、
産後クライシス周りのことに関しては
以前に対策として書いたとおり
「事前にきちんと知識を身につけること」と
「夫婦でコミュニケーションをとること」で
ほぼ言いきってしまっている感じなので、
それ以上特に新しく書くことも
見つけられなかったりします。

でもそんなふうに「喉元すぎれば」とばかりに
当事者じゃなくなった途端に
無関心になるのもやはり気が引けるので、
ここは一つ原点に立ち返る意味も込めて
「そもそも自分は何で育児をするんだろう?」
ということを考えてみようと思います。
自分自身と向き合ういい機会にもなりますし、
「夫」のはしくれとして考え方をさらすことで
事例の1つくらいに捉えてもらえるならば、
書いてみる意義も少しはあるかもしれません。

とはいえ、実は「何で育児をするのか」なんて
わざわざ考えたことなど一度もありません。
案外多くの親の皆さんもそうなんじゃないかと
思っているんですが、いちいちそんなことで
悩む暇もないというか、あえて出したとしても
「そこに子どもがいるから」くらいの理由しか
思いつかない、というのが本音です。
ただ流石にそれでは話が終わってしまうので、
何とかもうちょっとひねくってみます。


■少なくとも「かっこいいから」ではない

巷で見かける「イク○ン」という言葉。
どうやら「育児する男はかっこいい」という
イメージを打ち出して男性の育児参加を
促す向きがあるようですが、
「かっこいい」という要素が育児に取り組む
理由になることは特にありません。
逆に「じゃあカッコ悪ければやらないの?」と
考えてみれば明確ですが、そんなのは
判断材料で何でもなく、どのみちやるのです。

「チヤホヤされたいんじゃないのか?」
という話で言うと、ブログやTwitterなどで
何かを発信することは確かにチヤホヤされたい
というか、周りからの「承認されたい」欲求が
かなりのモチベーションになっています。
ただそれはあくまで記事という「文章表現」を
一種自分の「作品」と考えているからで、
作品をほめられることが嬉しいというだけ。
子ども自身はもちろん自分の作品ではないし、
何か結果を求めて取り組んでいるものでも
ない訳だから、そっちのことと子育てをするか
どうか、ということとは全く別の話です。


■メリットや条件は判断材料ではない

よく聞くのが「育児はこんなメリットがある」
という話。自分でも時々言ったりします。
例えば「成長を目の前で見ていられる」とか、
「多様な状況判断能力が身につく」とか。
シンプルなところでは「とにかくかわいい」
「喜びを感じられる」とかも。
きっと全てその通りなのでしょうし、
そう思えるのはとてもいいことだと思います。
でも正直な話、自分自身がそういうメリットを
わざわざ並べ立てて、総合的にはプラスだから
育児をやろう!などと考えたことはないです。
メリットゼロでこんなつらいことやるのか?と
問われたらどうなるかはわかりませんが、
幸い今までそんな判断を迫られたことはないし
少なくとも「やろうかな、やめようかな」
なんて悩むようなものではありませんでした。
最初からごく自然に「自分が取り組むもの」と
認識していたように思います。

同じく「共働きだったら当然やるでしょ!」
「こんな時代なんだから、男もやらなきゃ!」
みたいな意見もよく見かけるんですが、
そこも果たして条件付きなものなのか?という
疑問が湧くのです。
「こうだったらやるべき」というのは、逆に
「こうだったらやらなくていい」というものも
作りだしてしまう考え方なので、
それは少し違う気がします。
家庭環境がどうあろうと、時代がどうあろうと
まず「やる」ことが前提にあって、
もしやむを得ない理由があれば
やれない場合もある、くらいのものが
自分にとっての子育ての位置づけです。


■自己犠牲なのか?

家庭という場があって、妻と子どもがいて、
その中でただ役割を果たしているだけなのか
どうかということに関しては、少し考えます。
お金が必要だから仕事もするし、
人手が足りないから家事も育児もするし、
パートナーだから妻の心のサポートもする。
そこまで家庭のために、他の人も自分を犠牲に
できるものなのだろうか?という点です。

自分は元々の性格として自己評価がとても低く
また過剰に周りに気を遣ってしまうために
つい自分よりも他人を優先しがちで、
さらに「自分さえ我慢すれば」と考えるあまり
結果的に負担の抱え込みすぎで己の方が
先に潰れてしまい、かえって家族に迷惑を
かけてしまうこともよくある人間です。
その点は今後も気をつけるとして、
さて果たして「他人のため」だけで人は
生きていけるのか?を突き詰めると、
実際は決して他人のためにやっているばかり
ではない、ということに気づきます。

要するに、「誰かのために何かすることの
気持ちよさを知っている」というだけで、
結局は自分のためなのです。
それは相手からの感謝だったり、
笑顔が増えることだったり、それによって
家庭という空間が心地よくなることだったり。
いろんな要素がありますが、要はそれが
自分にとってとても魅力的なものだという
だけなのだと思います。だから、
「楽しいからやってる」
「やりたくてやってる」
というのは決してウソでもヤセ我慢でもなく、
本当の気持ちです。


■「男らしさ」に興味がない

自分でもどうしてこういう価値観になったかは
あまりよくわかっていませんが、
思い当たるのはまず親。
「うちは貧乏だから」と口癖のように言われて
「ヨソはヨソ、ウチはウチ」を地で行くような
家庭で育てられた影響なのか、
「普通」というよくわからない概念に
縛られずに済んでいるような所があります。
子どもの頃は周りと同じにできないことが
強烈なコンプレックスになっていましたが、
年とともにそれが逆転して行っているようで
今ではむしろ心地よさを感じています。
特に親は「男らしさ」を押し付けるような
ことを言うタイプでもなかったし、
成人してからの自分の生き方に何か指図を
してくるようなこともありませんでした。

おかげで自分自身の趣味趣向もあって
どんどん男性・女性の区別のないところへ
突き進んでいく人間になっていきました。
その延長線上に育児はあったので、
よく「男には居心地の悪い場所」とされる
「赤ちゃん休憩室」も「生理用品売場」も
一切抵抗を感じずに行けるし、
周りが受け入れてくれるかどうかは別として
女性ばかりの場に入っていくことも、
母親向けデザインしかない育児用品を使ったり
することも、特に抵抗感なくできるのです。
特に子育てに関することで言えば
目的はあくまで子どもを育てることなので、
自分がターゲットから外れていようが
多少環境が整備されていなかろうが、
「だって、仕事だから」としか思いません。

そこは「男らしさ」の価値観に縛られている
人にとってはつらいことかもしれませんが、
少なくともきちんと目的意識を持って
取り組める人であれば、どちらの方を
優先すべきかは明確ではないかと思います。


長々と、自己分析的なことを書いてきました。
結局は性別だとか、性的役割分担だとか、
環境だとか特性だとか、そういったものが
何一つ関係ない所にあるのが子育てというか、
もっと人の営みの基本になるものというか
(これを「家事」に置き換えても同じですが)
「やらなきゃいけないことだからやる」
というのが一番しっくり来る感覚です。

人間はいろんなものに理由が必要だったり
「こっちの方が合理的」みたいなことを
突き詰めていくものなのかもしれませんが、
ぶっちゃけ「面倒くさいこと言ってないで
とにかくやれ」と言いたい気持ちなので、
あーだこーだ言い訳ばかりして
家事育児から逃げようとする夫の方には
最終的にはその一言でいいような気もします。

もちろん自分がモデルケースだなんてことを
言うつもりはこれっぽっちもないし、
そもそも妻だって本当は産後から今日まで
ストレスをたっぷり抱えていて、広い心で
黙っていてくれているだけかもしれないし、
(実際今も懸念に思っていることがあるので
今度聞いてみるつもり)
自分の独りよがりっぷりを思い知る日が
いつかくるかもしれないと思いつつ、
毎日試行錯誤を続けているわけです。

そういうことを日常的にやっている、
世に沢山いるであろう「夫」のみなさんの
1つのサンプルとして、今の時点での
考え方をまとめてみたという話でした。


もともと価値観の違う他人だった者同士が
一緒に生活していく以上は、面倒なことも
たくさん乗り越えていかなきゃいけないし、
衝突もあれば誤解もあって当然だと思います。
そんな所へまたとんでもないストレスのかかる
「子育て」というものが入ってくる訳だから、
やっぱり危機は危機なのだと思います。

そのことをこれから子どもを持つ夫婦は勿論
他の家族も、周りの人も、社会も、みんなが
ちゃんと認識してあげて、どうにかその2人が
破滅にだけは突き進まないで済むように、
サポートして行けたらいいのかなと思います。

妊娠支援アプリ『Ovia』をおすすめします。

※今回は、妻からの発信を代筆の形でお送りします※

   *     *     *

「妊娠支援アプリ」(妊活アプリ)は
女性一人で使うものがほとんどで、
カップルで情報共有できるものだと
日本語アプリとしては現在
コウノトリ』がありますが、
残念ながらiPhone同士でないと使えません。
我が家は私がiPhone・オットがAndroidなので
両方で使えるアプリを…と探して、
たどり着いたのが『Ovia』です。

子どもがほしいふたりへ:
健康データをすべて記録できる子作り支援アプリ
『Ovia Fertility』 | ライフハッカー[日本版]

使ってみたらこれがなかなかよいアプリだったの
ですが、上の記事が海外のものの翻訳で
イマイチわかりにくいので、画像をまじえて
もう少し詳しくご紹介してみたいと思います。
(全て英語なので、ざっくり和訳しました)


≪いいところ≫

iPhoneAndroidどちらでも使える

・パートナーとの情報共有方法が簡単

・アプリ画面もメール画面も全て英語で、
デザインもシンプル。だからかえって
ぱっと見、生理・排卵日予測アプリに見えない

・アプリアイコンもシンプル↓
ovia_icon_ios


≪使い方≫

●メールアドレスとパスワードでアカウントを作成
(最低限、生理日・生理周期を入力すればOK)
ovia_01

ピクトグラムが生々しくなくてよい
ovia_02

●妊娠しやすいであろう期間、排卵日、
  生理予定日を予測してくれます
ovia_03

●グラフで視覚的に
ovia_04

他にも、基礎体温なども入力できて
こちらもグラフ表示できます。


≪パートナーとの情報共有方法≫

▼メール通知で共有する
パートナーのメールアドレスを登録すると、
メールで通知してくれます。
「Settings」 → 「Patner email」で入力
「Settings」 → 「Email Settings」で配信頻度を設定
・毎日、週一、月一、が選べます。
・同じメールが自分にも届きます。
排卵日前に通知してくれる、というような機能は
残念ながらありませんでした。

●メールももちろん英語だけど、この部分だけ読めばOK。
ovia_05

▼アプリでアカウントごと共有
パートナーにもこのアプリを入れてもらい、
同じアカウントでログインして、パートナーには
閲覧のみしてもらうという方法もあります。

もちろん全ての情報が相手にも伝わるので
そこまで相手に知られたくない、という人は
メールのみでの通知がよいかもしれませんが、
私はメールの通知設定がイマイチだったので
この方法と、メールの併用にしています。


使い始めてそれほど期間経ってませんが、
今のところ生理日予測が以前から使っていた
別のアプリ(これも海外のもの)と同じなので
正確に予測してるんだと思います。

個人的おすすめアプリです。
よかったら試してみてください。

iOS
ovia_icon_ios
Ovia Fertility - Ovulation Calculator, Period Tracker, Menstrual Calendar and Diary App

Android
ovia_icon
Ovia Fertility & Ovulation

   *     *     *

ということで代筆してきました、夫です。
英語のハードルはありますが、
覚えてしまえば数字を追うだけなので
わかりやすいと思います。
そしてほんとに端から見ただけでは
何の情報が出ているのかわからないので、
平気で会社でも通勤中でも開けるのは
ありがたいですね(笑)

「パパ」ではなく「家族構成要員その1」

数日前、仕事から帰ってからのことです。
妻ときなこが目の前で
こんなやり取りをしていました。
「お母ちゃんとお父ちゃん、どっちが好き?」
「おとうちゃん!」

それを聞いて、僕は正直驚きました。
答えの方ではなく、妻がした質問の方に。
別にそこは比べるものでも、優劣を付ける
ようなものでもないと思っていたので、
どうしてわざわざそんなことを娘に聞くのか?
という本人の真意が読めずに、
思わずびっくりしてしまったのでした。

妻はというと、別にそんな深い意味はなく
ただ何の気なしに聞いただけだったそうで、
僕の反応の方にこそむしろ驚いた様子でした。
実は昼間にも一度同じようなやり取りを
2人でしていたそうなのですが、
改めて何故そんなことを聞こうと思ったのか、
本人の中で振り返って考えたことを
後になって教えてくれました。

曰く、「きなこの目が自分だけに向いている
のではない、ということを確かめたかった」
とのこと。
要するに平日の日中、ずっと2人きりで
過ごしている中で、きなこからの好意を
一身に受けている状態がしんどいと。
だからムスメの口から「パパのことが好き」
という言葉を聞くことで、
その目線が決して自分だけに向いているのでは
ないことを確認して
気持ちを軽くしたいという思いがあった、
ということのようなのでした。

僕はその答えを聞かせてもらった時点で
すっかり合点がいったわけですが、
というのも我が家の場合、というより
僕が普段から最も強く懸念しているのが
この「妻の抱える育児ストレス」なのです。
家族3人、他に頼れる所があるわけでもなく
平日昼間は基本母子2人だけの生活の中、
妻のストレスをどうやって解消するか
というのは日頃何よりも大きな課題です。

だからせめて土日は極力きなこを引き受け、
2人だけでどこか外へ出かけるにせよ
妻だけ外出して我々は家で過ごすにせよ、
とにかく妻ときなこが離れられる時間を
少しでも多く作ることこそ自らの最大の
役目と思って、毎週実践しているわけです。

もっとも実際は一日のうちのたった数時間を
そんな風にしたところで大した効果もなく、
結局それによって解消された分など
あっさり上回るほどのストレスを
きなこは妻に対してかけてくるわけで、
正直「焼け石に水」と言わんばかりの
自らの無力さに打ちひしがれる日々ですが、
それでもやらないよりはずっといいはずと
信じてとにかく続けています。

そんな状態にいる妻の、ストレス要因に
なっているものの一つが、
きなこから向けられる「ママが好き」という
思いなのだろうと思います。
好かれることが何でストレスなのかと思われる
かもしれませんが、実際強すぎる愛情は
重く感じられるものでしょうし、
それに応じて強まる責任の重さというものも
また本人にとっては負担なものでしょう。
だからこそその面においても例えば父親が、
子どもからの思いが母親だけに集中しないよう
引き受ける必要があるのだろうと思うのです。

もちろんそれは子どもを甘やかしたり
ご機嫌を取ることで得られるような類の
ものではなく、目指すべきは母親と同レベル。
たとえ母親がいなくてもすぐに交代要員として
立てるくらいの、はたまた子どもにとって
「安全基地」として見てもらえるくらいの、
絶対的信頼感を得られるくらいの存在です。
というより、先日も書きましたが
普段から「いいとこ取り育児」状態で
子どもと接することができる立場にいる以上、
まともにやっていたら「パパのほうが好き」と
言われて当たり前、ぐらいの気持ちで
望む必要があるんじゃないかと思っています。

そのつもりでやって初めて、子どもからも
もちろん母親である自分のパートナーからも
信頼感を得られるものだと思うし、
逆に片手間だったりお手伝い感覚でいれば
それ相応の扱いしかされないわけで、
それでは「妻の育児ストレスを引き受ける」
なんて偉そうなことは到底言えないでしょう。
このブログでいつも言っていることですが、
100%当事者」のつもりで関わってようやく
「親その2」になれるくらいだと思います。


最近つくづく、子育てにおける
その人の役割を決めているのはその人の
「立場」でしかない、ということを感じます。
たまたま父親という立場で関わっているから
そういう役割として子育てをしているだけで、
仮に母親の立場になってそれをやっていたら
今の妻のようにストレスにまみれて、
それこそ毎日イライラしながら子どもと接して
いたかもしれません。イヤしていたでしょう。

母親は母親で、たまたま「自らの体に
子どもを宿し、産んだ」という立場にいるから
そういう役割を担っているだけであって、
なのに本人の特性とか向き不向きとか関係なく
その役目を果たしていることを考えれば、
父親も「向いてる向いてない」なんてことを
とやかく言う前に、まず自分の立場でやれる
役割くらい全部やっておけと思います。

そこまで行ってようやく対等な立場というか、
晴れて二人揃って順序のない「親その1」に
なれるんじゃないかと思うのです。
それくらい同じ目線に立てたとしたら、
そこで改めて本人達が生まれ持った特性や
「向き不向き」に合わせてそれぞれが担当する
役割を当てはめる作業に進めるんだろうし、
お互いが最もストレスの小さくできる形での
役割分担というものも
出来上がっていくんだろうと思います。

理想論を言っているのは自覚していますが、
個人的な気持ちとしてはやはり家族という
ちいさな共同体の中で、全員が並列に
「家族構成要員その1」になっている状態が
みんなが気持ちよく暮らしていく上では
一番いいんじゃないかと思いますし、
そのつもりでこれからも今の家族の中で
関わっていきたいと思うパパなのでした。

「いいとこ取り育児」を担う身として

先日、いつも見ている「MAMApicks」に
こんな記事が出てました。

MAMApicks:「ハレノヒ育児」
 〜子育ての「ハレ」と「ケ」考〜

僕も会社勤めをしている以上、
平日の日中ずっと一緒にいる妻と比較すると
圧倒的にきなことの接触時間は少ないので、
多分僕がやっているのは「ハレの日育児」
ということになるんだろうと思います。

もちろん、年に数回しか会わない実家の両親や
記事に出てくるような月に1度しか会えない
シングルマザーの方の夫さん達に比べれば、
ほぼ毎日お風呂の時間までには家に帰るし
土日もたいてい1日中一緒にいるわけだから、
さほど時間の差は大きくないかもしれない。
それに夫婦で情報を共有して、
きなこと2人きりの日でも平日の生活と
極力違いが出ないようにしているので、
きなこにとって僕といることでの「ハレの日」
の度合は大して強くもないのかもしれません。
だとしても、
間違いなくそこに妻との差は存在します。

それは以前にも書いた
きなこが僕らに求めている(ように見える)
それぞれの役割の違いのことでもそうですし、
また妻からたびたび聞かされている
「僕が帰ってからの方が
 きなこのテンションが高い」
という話からも伺い知ることができます。
それはもちろん、話相手が帰ってきたことで
妻自身が2人きりの時より明るくなるし、
それによって単純に家が賑やかになるから
という要素があるとしても、いずれにせよ
僕がきなこと接している総時間のうち、
「ご機嫌な姿を見ている割合が妻より高い」
というのは紛れもない事実です。

で、大事なのはまずそうやって自分が
「ハレの日育児」を担当させてもらっている
(”いいとこ取り”をしている)
という自覚を持つのはさることながら、
別にそれが決まり事でも何でもないという
つもりで臨むことかなぁと思っています。
今はたまたま状況がそうさせてはいるけれど、
場合によっては僕が「ケの日」を担う立場で
あってもよいわけだし、実際専業主夫家庭では
お父さんがその立場を果たしているわけだし。
だからいつでも入れ替われるつもりで、
今は「昼間はいなくて、夜遊んでくれる人」
として、きなこの期待に応える役割を
きっちりやって行こうと思っています。

それより何より考えなければならないのは、
そんなきなこにとっての「ケの日」の部分を
一手に受け持ってくれている妻自身は、
きなこが生まれて以来ずっと
本人が「ケの日」である、という現実。

子どもを持った多くの女性が経験している
「不自由さ」が一体どれほどのものか
ということを、パートナーである僕らは
しっかり見なきゃいけない。
それは物理的に子どもから離れられない
ということだけでなく、
周囲からの目だったり、
世間が「ママ」というものに持つ
勝手なイメージだったり、
またそこから外れることに対する
得体の知れないプレッシャーだったり。
とにかくそういういろんなものによって
外からも中からも「不自由さ」を
感じさせられるのが、今の(昔から?)日本の
「母親」というものなんじゃないかと、
端から見ていて感じるのです。

対して男はといえば、
月ごとの体の変化からも解放され、
飲める薬・飲めない薬の判断からも解放され、
「女なら言ってもいいだろ」と
相手を見てからベビーカーに向けて吐いてくる
チキンな方々の暴言からも解放され、
「ママは母性があるから耐えられるよね!」
とかいう何の根拠もない激励からも、
「子どもの責任は全て母親にある!」
とかいう全く筋違いな批判からも解放され。
実に自由気ままに子育てに関われる、
そういう立場に男はいるわけです。
「男である」ということで、実は育児に関して
ものすごくいいとこ取りができる状況に
はじめからいるのです。

そのことを自覚し、というより最大限活用し、
例えばそれによって生じる気持ちの余裕を
目の前のパートナーの声に耳を傾けたり
手を差し伸べる為に使うことによって、
少しでもその不自由さの肩代わりができたら。
ほんのわずかでも、「ケの日」つづきで
しんどい妻の気持ちを軽くしてあげたり、
平坦な日々に変化をつけてあげられたら。

つまり「ハレの日」を担うのは
決して子どもに対してというだけでなく、
パートナーに対しても同じだということです。
それが多くの、父親である以前に夫としての
とても大切な役割ではないかと思うのです。

この間ようやく卒乳を果たして
きなこがずっとこだわり続けてきた
「おっぱいを飲んでから寝る」という習慣が
ついに崩れました。
つまりもう夜の寝かしつけを妻がやる必要も
いよいよなくなったわけです。
これからはぜひ夜の時間帯も視野に、
妻自身の「ハレの日」を作ってもらえるよう
働きかけていきたいと思います。

2人きりでの家事&育児は「笑い飯」方式がいい

説明不要かと思いつつご紹介しておきますと、
笑い飯」とは吉本興業所属のお笑い芸人で、
ネタの途中にボケとツッコミの役割分担が
何度となく入れ替わる漫才で知られています。

で、夫婦2人だけで子育てしている家庭の場合
つまり実家などからのサポートが一切ないと、
「やらなければいけないことの量が
人手よりも上回ってしまう」という話は
以前に一度考えてみたことがあるのですが、
そんな大変な状況を乗り切っていく上で
この「笑い飯」方式が有効かもしれない、
ということを我が家の例でお話してみます。

それは一体どういうことかというと、現在
我が家では家事・育児に関する作業のうちの
いくつかを、この笑い飯の漫才と同じように
”日によって夫婦で作業担当を入れ替える”
というやり方でこなしています。

例を挙げるならば、毎日入れ替えている家事は
「朝ご飯の調理」や「お風呂の掃除」です。
また、概ね担当は決まっているものの
日によっては入れ替わる場合があるのが
「ムスメの入浴」や「洗濯物の片付け」など。
更に全く分担を固定せず”気づいた方がやる”
状態のものとしては、「ムスメのオムツ替え」
といったような状況です。

別に最初からそんなふうにしようと決めていた
訳でもなく、2人でいろいろやっていく中での
紆余曲折があって 「こっちの方がいいな」と
決まっていっただけなので、バラつきはあるし
あくまで我が家の場合に限りますが、
この「家事育児の作業分担を固定しない方式」
というのは思った以上にメリットが多いな、と
最近になって実感しているわけなのです。

具体的には、まず第一に何より「有事の時」。
普段から1日おきにはやっていることならば、
たとえどちらかが体調不良などでその日に
担当できなくなったとしても、もう1人が
すぐに「何のハードルもなく」カバーできる。
特に基本がギリギリの状態で回している場合
どちらかが倒れた途端に機能しなくなるのでは
あまりにもリスクが大きすぎるので、
2人ともがマルチプレーヤーであることは
本当に重要になってきます。

また、あとでもう一度触れますが、仮に
ごくたまにしか担当することのない作業でも
最低限「1回はやったことがある」という
状態になっておくことはとても大事で、
そもそも有事の時に完璧にやる必要などなく
ある程度できていれば十分なわけだから、
そんな時に「全くやったことがない」のとでは
実作業のクオリティのみならず、心理的な面で
格段に差が出てくるように思われます。

まあ別にそんな大げさな話でなくても、
実際1つ1つの作業を見ればそれほどの負担では
ないわけですから、その日の相手の体調や
疲れ具合などを見て「今日は代わろうか?」と
お互いが言ってあげられる状態というのが、
単純に各々が「しんどくなりすぎない」ために
有効に働いていますよ、ということなのです。

さらにもう一つのメリットは、
「夫婦それぞれでやり方が微妙に違う」
ということ。
どんな家事も、細かいところまで見てみれば
1人1人が違ったやり方を持っているはずです。
例えばお風呂の掃除であれば、最も汚れが
気になる場所は人によって違うだろうし、
逆に「ここはそんなにやらなくてもいいな…」
と思っている場所も人それぞれかもしれない。
そんな、少しずつ違いのある作業を、
2人が交互にやっていくことでかえって
バラつきが抑えられるというか、結果として
平均的になっていくように思われるのです。

つまり1人だと「ここは別にいいや」と思って
ずっと残り続けてしまうかもしれない汚れも、
もう一人が気にするタイプだったとしたら
ちゃんとそこをカバーできる。
もちろん2人ともが気にしないで残ることも
あるでしょうが、少なくとも確率は減らせる。

同じことが「子どものお風呂」でも言えて、
仮にお風呂での「洗い方」が2人で違っていて
きちんと汚れが落ちていない場所があったり、
逆に不必要に洗いすぎてしまったりしても
担当が入れ替われば平均化されるし、
とにかく「あまり極端なことにはならない」
のではないかと考えられるわけです。
そんなふうに偏りを減らせるということが、
長期間続けていった時に意味を増してくる
のではないかと思われます。

そしてもう一つ、3つめのメリットが
先程も少し触れた”1回はやったことがある”
という作業が増えることによって、
「ボリューム感が把握できる」という点です。

再度我が家での事例を一つ挙げますと、
ムスメの「歯磨き」。実はこれ、少し前までは
ほぼ妻の専任でした。というのも
あまりに激しく歯磨きを嫌がるムスメに対し、
いくら挑戦しても上手くできなかった僕が
「担当することから逃げていた」というのが
恥ずかしながらも理由だったわけですが、
そうやって妻に頼っていた数ヶ月間は
毎日のように申し訳ない思いでおりました。
何しろ、それがどれだけ大変なことかは
身をもって思い知らされているわけですから。
これが「やったことがある」の重要さです。

お互いがそういう経験を持っていることで、
たとえ実際には作業として担当していなくても
相手がそれにどの程度の負担になっているかを
想像することができるようになります。
つまり、その想像力を持っていることで、
相手の負担が過度なものになっていないかに
気づくのもずっと容易になるということです。
もっとわかりやすく言い換えると、
「夫婦仲が悪くならないようにできる」という
すごく重大なメリットになると思っています。
自分自身の経験で言わせてもらえば、
「歯磨きをやってもらっている分は
 何とかこれで埋め合わせしよう…」と
普通に気づかえるようになるわけですね。


さてここまで、めずらしくライフハックっぽい
ことを長々と書いてみました。
「夫婦2人だけで、何のサポートも受けずに」
仕事と家事と育児を正常に回していくには、
おそらく人手の方が確実に足りません。
きっとそれを何とかするべく、
各家庭ごとに様々な工夫が
とっくになされているんだろうと思います。
逆に何の対策もなく、一見奥さんだけで
正常に回せているように見える家庭があれば、
それはもしかしたら奥さんの負担とストレスが
危険な域になっている可能性がありますよね。
大丈夫でしょうか、夫の皆さま。

家族全員、育児という大きな山を越えても
なお「皆で笑って飯を食っていられる」ように
なっているために、今回の例がどこかで誰かの
役に少しでも立ってくれたらうれしいです。

「妊すぐ×コウノドリ 男の妊娠読本」

モーニング公式サイト
妊すぐ公式サイト

雑誌の話なので期間限定になってしまいますが
今発売中の「妊すぐ 2013冬号」に、
モーニングという雑誌で連載中の
コウノドリ』というマンガとのコラボ企画で
「男の妊娠読本」という付録が付いています。
これがとても良い内容でしたので、
ぜひ紹介したいと思います。

もともと『コウノドリ』というマンガは、
実際に産科医の先生方からもとても良い内容だ
ということで評判になっていて、
我が家でも新刊が出るたびに買っています。
こういう妊娠出産のことを扱ったマンガが
モーニングのような男性向けの雑誌で
連載されているということ自体
すごく画期的なことだと思うので、
ぜひもっともっと広まっていけばいいなぁと
思っているんですが
今回はそんな流れなのか、「男の妊娠読本」。

主に妊娠した妻を持つ男性に向けて、
妊娠・出産に関する様々な情報や心構えなどを
かなりのボリュームで紹介してくれています。
言わば、これまで散々紹介してきた
「男の産後手帳」のボリュームアップ版の
ようなもので、全部を読むには多少時間は
かかるものの、はっきりとそれだけの
価値のある本と言っていいものだと思います。

僕自身、かねてから「もっと男性に対して
出産についての知識が得られる機会を!」
と願っていましたので、過去を振り返るのと
今後(2人目)のことを考える上で
改めてこういうものが読めてとても良かったし
ぜひ多くの男性の皆さんに読んでもらいたい、
と思った次第です。

「妊すぐ」は妊娠出産雑誌ということもあって
なかなか奥さんが妊娠でもしない限り
男性が手に取ることはないかもしれませんが、
そんな時は『コウノドリ』がぜひお薦めです。
マンガなのでまず何より読みやすいし、
内容もとても面白い上に本当に役に立ちます。
ちなみに昨日発売の第3巻でも
「病院と助産院」の話が出てきましたが、
どちらか一方の立場に偏ることなく
非常にフラットな描き方がされていて
好感が持てました。

このマンガをとっかかりにしてもらって、
もしもっとちゃんと知りたいと思ったら
ぜひ今回の「男の妊娠読本」も読んでみて
頂きたいと思います。
そういう意味では、この本は雑誌の付録で
終わってしてしまうのはあまりに惜しいので、
できたらいつでも手に入る状態のものに
なってもらえたらいいなと思っています。
とりあえず雑誌自体は季刊のようなので
春までは書店に並んでいると思いますが。

ちなみに今回これを読んで、また
たまたま季節も同じ頃ということもあって
2年前のことをいろいろ思い出しました。
今くらいはもう臨月に入っていたので
2人でひたすら寒い中を散歩してたなぁとか。

いい思い出かと言われると…微妙です。
とりえあず思うのは、「すごく前のこと」の
ような気がするということ。
でも、懐かしめるほど昔の記憶でもない、
ということ。
この本が我が家で実際に役に立つことは
いつかあるのでしょうか…?

東洋経済の産後クライシス記事に感動した話

2週間前にこのブログでも触れた、東洋経済
「産後クライシス」がテーマの記事。
今日いよいよ第3回目がアップされました。

東洋経済ONLINE - 産後クライシス

タイトルは【「産後クライシス」でギリギリの
夫を救う方法】、さらにサブタイトルに
「夫を救うのは、隣の夫?」と続きます。
そして男性へ向けて、
職場や友人などの男性同士の関係の中で
「産後クライシス」という言葉や状況を
シェアしてみては?という提案が
記事の中でなされています。

正直、全く予想もしていなかった内容で、
この間自分で書いた「こんなことが
書いてあったらいいのにな」という一文など
今すぐにでも消したい思いに駆られましたが、
そんな自分の考えたちっぽけなことなどより
もっとずっと先を見据えての提案でした。

おそらくその「男性同士でシェアしてみる」
という行動の先に見えているのは、
男性が長時間労働に縛られて身動きできなく
なっている今の状況が変わっていくこと、
そして男性が仕事より家庭のことを優先しても
何ら不利益のない社会になっていくことです。
要するに、「子どもが小さい時くらい、
さっさと家に帰れるようになろうよ」
ということです。

実際我が家の場合、
非正規雇用」という働き方を選択することで
周りのどの正社員よりも早く帰って、
家のことや子どものことに時間を使うという
自由を獲得することができました。
でも同時にそれによって相応の水準の賃金、
いつ無職になるかもわからない不安定さ、
代替要員のいない業務内容など、
色々なマイナス要素も抱えることに
なってしまっているのも事実です。
もしそういうことのない、状況に応じて
誰もがごく自然に「仕事より家庭」に
バランスをシフトできるような、
そんな働き方ができる社会になってくれたら
こんな嬉しいことはありません。

本文中にも、次のような言葉が出てきます。

>「会社」という、男性社会が作り出してきた
>ひとつの”深刻な社会構造”を、
>変えられるかもしれないと思うのです。

いつかIMFのラガルドさんも指摘していた、
「日本人の長時間労働」が生む様々な問題。
それを「産後クライシス」という
強いインパクトを持つ言葉の力を使って
何とか変えていこうというような、
その言葉を生み出した記者さん自身の
強い思いのようなものが感じられて、
何だかちょっと感動してしまったのでした。

いつか機会があれば書くかもしれませんが、
僕個人は今までずっと、いわゆる
「一般的な男性の感覚」というものに対して
相容れないものを感じて生きてきた人間です。
すごく乱暴な言い方をすると
「男嫌い」なフシがあります。
そのため何となく男性に対して厳しい見方に
なりがちというか、この間の文章も
「どうしたって不利益を被ることの多い
出産時の女性に対して、あまりにも自分本位で
想像力の欠けた男性達」に対する怒りの感情に
任せて書いてしまった部分がありました。

それに対して、今回の記事は
男性読者も多い経済誌のサイトにあって、
ちゃんと男性の気持ちに寄り添った上で
非常に具体的な行動が提案されていて、
もう何だかいろんな意味で
恐れ入ってしまったのでした。

今も、 産後クライシス自体は回避されるべき
という気持ちは変わりません。
ただ今回の記事を読んで、
内心ワクワクしたのも事実です。
産後クライシスを呼び水に男性社会を変える。
この試みが今後どうなっていくのか、
とても楽しみに見ていきたいと思います。