シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

自分の心のケアは自分でできるように

ここの所、大変な災害が立て続けに起きて、
毎日ちょっと気を抜くと泣いてしまいたく
なるようなニュースがどんどんテレビから
流れてきます。
とにかく、被災地の方々には一刻も早く
心の平穏と生活の安定が戻ってくれることを
祈るばかりです。

そんな中、特に被災者でもない私たちが
今すぐにできること、そして結構やった方が
いいんじゃないかなと思っていることが、
「ちょっとでも優しい気持ちで
いられるようにすること」です。
優しい気持ちでいられるということは、
それだけ自分の気持ちの中に余裕がある
ということなので、つまり私たちはなるべく
自分の気持ちに余裕を確保しておけるように
意識して過ごしてみてはどうか、
と思っているわけです。

ニュースを見て、たとえ自覚できていなくても
私たちは少なからず心にストレスを
受けているんではないかと思います。
まずそのストレスの存在を認識してあげて、
自分に合った方法で対処をしてあげること。
ストレスの原因になっていること自体から
離れるのが難しいのであれば、何か別の形で
埋め合わせできるようにしてあげること。

それを自覚できないままで放っておくと、
たとえ見えないようにしたところで
それ自体が消えることはないので、
結局はどこかで何らかの形で出てきます。
自分の中で何とかできなかったそれは、
「誰かに何とかしてもらう」という方法に
頼るしかなくなるわけですが、
自覚できていなければ当然その「誰か」に
正しい対処法を求められるわけもなく、
「とにかくこのモヤモヤをスッキリしたい!」
という方向になってしまうんだろうなと。
マイナスな感情を上手く言葉にできなくて
ついクラスの友達に乱暴してしまう子どもと、
図式としては同じです。

さらに良くないことに、そうやって
何とかしてもらおうとする「誰か」とは、
たいていが自分にとって言いやすい相手、
たとえば子どもだったり女性だったり
外国籍の人だったりといった、
社会的に立場の弱い人達が選ばれがちです。
要するに、その人達に自分のストレスを
擦り付けることで解消しようとしてしまう。
そういう事態になることを避けるためにも、
これだけ大変なことが周りで起きている
今だからこそ、改めてまず自分の中にある
ストレスの存在と、それが生まれる原因を
しっかり見定めておこうと。
そう意識していないと、知らず知らずのうちに
誰かを傷つけてしまいかねないなと
思ったのです。

実際問題、普段から私たちはそのことが
あまり上手にできていないのではないかと
思うことがあります。
たとえば国に対しても、「誰か何とかして」の
「誰か」を求めてしまっていないだろうか。
もちろん自分達の生活環境の改善や、
きちんと復興がされるように資金や人員が
割り当てられていくように求めていくことは
何もおかしいことではないのですが、
自分達が自覚できていない精神的ストレスの
ケアを国に求めてしまうということは、
結局は「一時的なスッキリ」を国に対して
やってもらうということにしかならない
のではないかと。
みんなが「とにかく目の前のモヤモヤから
目を逸らさせてくれ!」と求めて、
国としてもそれに応じるように動いた結果が、
つまりはやたらとでっかいお祭りをやったり、
さっき言ったような弱い相手に擦り付ける
みたいなことを一緒になってやろうとしたり、
何故かやたらと攻撃力を高めるための道具を
たくさん買い込もうとしたり、
国の基本ルールをむりやり変えようとしたり、
そういうことになっているんじゃないかと。

そんな感じの「スッとする」ことにばかり
コストを持っていかれないためにも、
私たちはせめて自分自身の心のケアぐらいは
自分でできるようにしておく必要が
あると思うのです。
実際やることは別に難しいことではなくて、
たとえば普段よりたくさん休憩を取るとか、
いつもより長めに寝ておくようにするとか、
この際だから普段より豪華な食事をするとか、
ちょっと欲しかったけど買わずにいたものを
思いきって買っちゃうとか、
そんなことでいいんだろうと思います。

自分のできる範囲で、自分にあったやり方で、
自分がいま何にストレスを感じていて
どうすればそれに対処できるかという
心のケアが皆それぞれにできるようになれば、
もうちょっと余裕を持って、
優しい気持ちで過ごせるようになって、
これまでそこに使っていた分のコストを
いま必要なことに振り分けることが
できるようになるんじゃないかなと思います。