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シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

「被害者の会」

今週も地獄の週末が終わりました。

昨日の夜は気候のせいなのか
きなこは先週からまだ治りきらない咳が
寝入りばなから出続けてうなされたり、
あんこはそれがきっかけなのか
日付が変わるくらいまで何度も夜泣きをする
というひどい夜でしたが、
一方で最近のきなこの身勝手っぷりについて
夫婦でさんざんグチる機会があり、
ずいぶんと日頃の鬱憤を晴らせました。

何しろ先週一週間は一度たりとも
まともにお風呂に入ろうとしなかったので、
毎晩説得から入るものの結局は怒ってしまい
険悪なムードのまま寝かしつけという流れが
続いていて、心底すり減っていたので
この日吐き出せたのは本当に助かりました。
おかげで今日も相変わらず彼女の無茶振りと
思いつきにたいそう振り回されましたが、
あまりイライラすることなく過ごせたような
気がします。

何だかんだ言ってもまだ5歳、
まだまだ上手に言葉で説明することも
自分の感情をコントロールすることも
相手の気持ちを思いやることも
難しい年頃なのでしょうから、
やはりそこは大人である我々の側が
それに対応できる状態を作っていかなきゃ
いけないんだろうと思います。
そのためには、そうやって
「被害者の会(親2人)」の会合でも何でも
開いて、たまったストレスを発散し合う場も
必要なのだろうと思います。

そういえばこの週末は自主的に
お風呂掃除と、布団たたみと、掃除機と、
夕飯の野菜を切るのを手伝ってくれました。
爪切りも自分で随分上手に使えてました。
ちゃんと成長してます。

きょうだい関係

今日は暑かったですね。
今から秋が待ち遠しくてしょうがないです。

先週から幼稚園が再開したきなこ、
さっそく風邪を引き2日休んだ後、
案の定あんこにもうつって今日も2人とも
まだ治ってません。

そんな2人の関係で、最近ちょっとなって
いるのが、姉の妹に対する当たりのきつさ。
きなこがことあるごとにあんこにちょっかいを
出すのですが、それがいちいち乱暴というか
それこそ何の意味もなく頭をはたいたり
するような感じがあるのです。

そりゃまあきょうだいならぶつかり合いも
あるよなとは思いつつ、さすがにあんこもまだ
無抵抗にやられ放題なので、ハラハラします。
きなこの方も別に意地悪してやろうというとか
そういうつもりはなく、ただじゃれているだけ
だったり、一緒に楽びたいということの
ようなのですが、その辺はまだ相手が
一歳児だということまで気が回らないので
ついつい乱暴な感じになってしまって
いるのだろうと思います。

そのことで不意に蘇ってきたのが、
自分の子どもの頃の思い出。
僕が中学の頃、兄が夏休みを利用して
3週間以上泊まり込みのバイトをしたことが
ありました。
一切顔を合わせることのない1ヶ月が過ぎ、
バイトが終わって久しぶりに会った兄は
僕の頭を小突くようなことをしてきたのです。

思い返せばそれは、会わなくなる前から
彼に散々されてきたことでありました。
だから向こうは今までと変わらぬノリで
いつも通りの態度で接してきたつもり
だったのでしょうが、こちらとしては
1ヶ月の間にすっかり感覚がニュートラルに
戻ってしまっていたので、
「えっ何これ?何でこんな仕打ち受けんの?」
と思ってしまったのでした。
冷静に考えれば明らかにされて嫌なことを
されていたのに、それが日常化して自分自身も
特に嫌なこととも感じていなかったのです。

あんこもやがて姉に刃向かうように
なっていくのだろうと思いますが、
そこはお互い嫌なことはちゃんと嫌と
言い合ってもらって、不健全な関係に
ならないようこちらとしても
見守っていこうと思います。

あと、今そのエピソードを思い出したことで
改めて感じたのは、人と人の関係性は
1ヶ月くらい間が空けば結構ニュートラルな
状態に戻るのだなあということ。
逆に、相手の関係性を見つめ直すには
1ヶ月くらいの期間が必要なのだなあ
ということ。

だからもし普段子どもを一時預かりに
連れて行って「リフレッシュ」なんて
言ってるけれども、本気でリフレッシュ
しようと思ったらやっぱり1ヶ月ぐらいは
空けなきゃいけないんだろうし、
逆にそこまでインターバルを置けば
いま毎日イライラしながら接している
我々親としても、もっと新鮮な気持ちで
子どもにおおらかに接することが
できるのかもしれない。
そんなことを考えたのでした。

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すっかり葉桜になってしまいました。

してほしくないことしかしない

地獄の春休みが終わりました。
最後の方はきなこも毎日やることもなく
ヒマでしょうがなかったのか非常に不安定で、
というかとにかくこちらが何か言うと
すぐキレるので、本当に毎日がバトルでした。
特にやっちゃいけないことを指摘すると
「知ってるよ!」と怒ってくるくせに
全くやめる気配がなかったりが多く、
またキレると衝動的に手が出てしまうようで
我々も本気でどうしたらいいのやら…
という感じになってしまいました。
今日もまだその余波は続いていましたが、
無事始業式も終わり明日から年長さんとして
本格始動なので、もうちょっと落ち着いて
くれるといいなぁと思っています。

さて、タイトルに書いた「してほしく
ないことしかしない」というのは
別に日本政府のことではなくて、
(それもそれで大変困ってますが)
我が家の二番目の一歳児、あんこのことです。

自由に歩き回れるようになって以来、
とにかく手の届くものは何であっても
触ってみないと気が済まないようで、
しかも「これまだ触ってみたことない」
のセンサーの張り巡らし方がとんでもなく、
当然だんだん背も大きくなるので
前は届かなかった所にも届くようになり、
さらに最近は自分でイスを持ってきて
それに乗って手を伸ばすというテクニックまで
覚えてしまい、もはやいくら高い所に
物を避難させても追いつかない状況です。

元々きなこの時より、家族が一人多い分
遥かに家の中に物が増えていて
いろいろ置き場に困っている中で、
下の方に物が置けないという大変困難な事態を
何とかしようと、家具の配置なども
かなり無理をしてアレンジしているので、
正直普段生活する上では使いにくいこと
この上ない家の中の様子になっています。
食器棚のお皿を一枚取るのに、前に置いてある
キッチンワゴンをずらして観音開きの扉の
横から手を伸ばしてお皿を掴まないと
いけないとか、不便ったらありません。
そんな状況なので当然うっかり落として
しまったりというようなちっちゃなミスが
頻発していて、ただ暮らすだけなのに
受けるストレスがすごいです。

最近のあんこはようやく「何でも口に入れる」
という時期は乗り越えつつあるものの、
この「何にでも手を伸ばす」という状態は
まだまだ当分続いていきそうなので、
逆に我々の身が持つのだろうかと心配で
たまりません。

この週末もそんな使いにくい我が家を
何とか改善しようと思っていたのですが、
結局そんな2人への対応だけで手一杯で
何もできないまま終わってしまいました。
そんな無力感と徒労感にとらわれながら、
また明日からも生活していくことになります。

ちなみに妻にこの
「子どもの対応以外何にもできなくて
゛もう許して下さい~!゛ってなる感じ」
のつらさを話したら、
「春休み中は毎日そんな感じだった」
と言われました。
ですよね…

「育てられ方」の連鎖を止めるために

この週末、とある勉強会に参加してきました。
子どもの事件や自立支援に積極的に取り組む
弁護士の方を講師に呼んで、
若い人たちが直面している様々な問題や
それに対して大人は何ができるのかを
考えよう、という趣旨です。

実際に、親子関係が断絶してしまったり
居場所を失ってしまった少年の事例などを
聞きながら、彼らにどんな支援の手を
差し伸べることができるかを学ぶ内容でした。

その中で、日本全国に電話での相談窓口や
緊急避難先としてのシェルターがあり、
将来に向けての自立支援の為の施設があり、
それらは全て弁護士の皆さんが
自らお金を出し合って運営しているのだと
いうことを知りました。

そういったものの存在が、果たしてどれほど
今まさに困っている子ども達に知られているか
という課題もありますが、それ以前に
こういうものが国としての取り組みではない
ということに、毎度のことながら
激しくがっかりさせられました。
(もちろん「児童相談所」というものは
ありますが、あちらは全く手が足りておらず
支援が行き届いているとは到底言えない、
というのはよく聞く話です。)
子育て支援のみならず、危機に直面していたり
そうでなくても十分に安心して暮らすことが
できていない子ども達を、国として支える
仕組みが持てていないことに、大変情けなく
申し訳ない気持ちになりました。

また、今回事例として聞いたのは特に深刻な
例だったと思いますが、濃淡の差はあれ
きちんと人として尊重されているとは
言い難い状態にいる子どもというのは
それこそ数限りなくいると思われるので、
そう考えるともちろんシェルターの存在や
こういった弁護士さん達の取り組みは
本当に重要だし、心からありがとうございます
という気持ちになるのですが、
そうやって浮かび上がってくる深刻なケースに
一つ一つ対処していくだけでは、根本的な
解決にはならないんだろうなとも思います。

全ての子ども達が、人として大切に扱われ、
きちんと自分の居場所が持てて、
日々の暮らしを安心して送ることができ、
自分の生きたいように人生を選んでいける
ようになるためには、
まず最も身近な存在である親のことを
どうするか考えなきゃいけないし、
さらにそれを取り巻く社会全体が
どうやってそれを成し遂げるかを
考えなきゃいけないんだろうと思います。

勉強会の中で、「子どもに人権なんて
とんでもない!」などと言ってくる大人が
いるという話がありました。
正直それは極端な意見でも何でもなくて、
濃い薄いの差はあれ私達の中に何らかの形で
しみわたっている考えなのではないかと
思うのです。
「子どもは大人の言うことを聞くもんだ」
くらいの表現になれば、恐らく否定する人は
そんなに多くないんじゃないでしょうか。

一体私達が、どうしてそういう価値観を
持ってしまったかと言ったら、それは結局
上の世代から「そう育てられたから」でしか
ないんだろうと思います。
そしてさらに、その上の世代がどうして
そういう育て方を私達にしたかと言えば、
その人達もやっぱりその上の世代によって
「そう育てられた」から、
彼らはそのやり方しか分からなかったから、
そうしたのだろうと思うのです。

それはある意味仕方のないことではあるし、
むしろどうやってその「育てられ方の連鎖」を
止められるかを、これから私達は考えるべき
なのだろうと思います。
というより、今まさにこうやって子育てに
取り組む現場にいる私達には、それができる
とても大きな可能性を与えられていると
考えることもできると思います。

課題は、どうやって私達一人一人がその
気づきを得るか、ということだと思います。
自分自身の体験として一つのヒントは、
以前も紹介した『子育てハッピーアドバイス
という本に出てくる、
自分の受けた子育てを振り返る」という
取り組みです。
自分が子どもの頃、親や周囲の子どもから
されてイヤだったことを、ちゃんと
「あれはイヤだった」と認めること。
無理矢理「あれは必要なことだった」とか
「あの苦しさがあったから今がある」などと
今の自分を正当化するのに使わないで、
イヤだったことをイヤだったと
素直に受け止めること。

それができれば、それを子ども達にしない
というだけでも随分変わるような気がします。
もちろん全くしないようにするのは無理でも、
「これが正しいことなんだ」と思っているのと
「あんなことされてイヤだったな…」と
自覚できているのでは、きっと子どもに向かう
姿勢として必ず違いが出てくると思います。

そしてさらに、それは必ずしも子育て中の
親だけの話ではないと思うのです。
いま生きている全ての大人達が、
子どもの頃されてイヤだったことを
きちんとイヤだったと認められれば、
そしてそれをわざわざ次の世代に同じ思いを
させなくてもいいじゃないかと思えれば、
社会全体がそういう方向に向かうだろうし、
子どもを育てる責任を負っている親たちの
気持ちは今よりはるかに楽になるはずです。

自分達の過去と向き合うのには、
それ相応の難しさがあるとは思います。
自分の過去を美化せず、否定しなければ
ならないとすると、これまでの自分自身の
やってきたこと言ってきたことが全て
自責の念として襲いかかってくる可能性が
あるからです。

それでも、これから先ずっと
そのことに薄々気づいていながら
見て見ぬ振りをして生きていくくらいなら、
どこかで自分の過去と向き合ってしまい、
そこから再出発した方がはるかに気持ちは
楽になります。
それは、自分自身の体験として
言えることでもあります。

これからの子ども達のためにも、
そして私達自身がこれからの人生を
人として尊重されて生きていけるように
なるためにも、一人一人が自分自身に
向き合えるようになることを祈っています。
またそのためのヒントを、これからも
探っていこうと思ってます。


今回の勉強会で色々な話を聞いたことで、
またその場で自分なりに言葉にしたことで
これまで考えていたいろんなことを
まとめるきっかけになりました。
その機会を与えてくださった方々に
改めて感謝するとともに、
これからもっともっと考えていこうと
思った今週の出来事でした。

春休み地獄

世間的には開花の時期にもかかわらず
真冬並みの寒さになったりしてますが、
我が家では春休み地獄が続いています。
とにかく平日昼間の妻の負担が大変です。
きなこもきなこでずっと家にいてヒマなのか、
この週末に児童館に行こうと言ったら
ものすごい興奮っぷりで、前の晩も
なかなか寝付けないほどでした。
当日午前中にそこで全力で遊んだ後、
さらに午後には自転車練習でずいぶん走って
そのまま公園を2件ハシゴするはじけっぷり。
体力が有り余っていたのかもしれません。

一方のあんこ、ここ一週間ほど
風邪を引いて鼻水がズルズルですが
元気のほどは変わらず、というかここ最近
何かが自分の思い通りにならなかった時の
怒りのエネルギーがすごいことになっていて、
いよいよイヤイヤ期に向かって進み出して
いるな、というのを感じます。

そんなあんこも今回初めての児童館で、
最初こそ戸惑いがあったのか
僕のそばから離れずに様子を見ていましたが
そのうち山のようなおもちゃに囲まれた
その部屋の魅力に気づいたのか大喜びで
おもちゃを取っ替え引っ替え遊んでいました。
最終的には姉妹揃って広い部屋でボールを
追いかけ回すまでになり、こちらも大興奮で
初児童館を満喫したのでした。
(その後は抱っこした直後に寝ました)

何しろ最近は、家の中で手の届くものは
とにかく何でも引っ張り出す、ブン投げる、
まき散らす、放り込む、食べる、と
暴虐の限りを尽くしている彼女なので、
さすがに外でも連れて行って発散させないと
こちらの身が持ちません。
昨日もきなこが使っていたクレヨンを
自分にもよこせと大暴れし、紙と一緒に
渡していたらちょっと目を離したスキに
テーブルからイスから全部落書きされ、
今日も今日でイスを運んでいってテーブルに
乗り移ろうとしたらうまく行かなくて激怒した
その2分後には、両手にペンと保冷剤を持って
コキンちゃんの人形の頭を口に咥えて
ガニ股で部屋から部屋へと闊歩するという、
その後ろ姿はまさに「家の中ギャング」で
ありました。

これでさらに言葉をしゃべり出したら
ますます手がつけられなくなりそうなので、
とりあえずきなこの春休みはとっとと
終わってくれればいいなと思っています。

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2人連れての児童館もそれはそれで大変。
たまの週末の半日限定が関の山ですね。

モアナの「夢」と「使命」の話

昨日、家族に自由時間をもらって
映画『モアナと伝説の海』の日本語字幕版
『Moana』を観てきました。

その感想はTwitterにも書いたのですが、
まだ書き足りないのでこの場でもうちょっと
続けてみたいと思います。
なお今回もネタバレのことは一切気にせず
好き勝手書きますので、ご了承ください。

昨日は一連のツイートの中で、以下のように
書きました。



このお話では、主人公のモアナが
とにかく一人でずっと頑張ります。
もちろんマウイという心強い相棒がいますが、
彼を味方にし一緒についてこさせるのも含めて
とにかくモアナが頑張ります。

「自分一人でもやればできる」ということを
意図的に描いたのかなとは思ったのですが、
ただ観ている側としてはあまりに援軍もなく
彼女が一人でがんばり続けることに、
ちょっと酷な感じを受けてしまったのでした。
というか、彼女の「モチベーション」の部分に
観ていてずっと疑問があったというか。

村長の娘として、成長しながら自分の役割に
自覚を持ち始めていった彼女ですが、
(そもそもそこが世襲なのかよ…という点は
 時代背景ということで置いておくとして)
心の底では常に外海への憧れというものが
あったはずですし、果たしてどこまで
その役割にモチベーションを持っていたかは
わかりませんでした。
そしておばあさんから全ての話を聞き
テ・フィティの心を託された時も、言わば
珊瑚礁の先に行けるという「夢」と、
村を危機から救うという「使命」が
両方いっぺんに来てしまったわけで、
そこで夢の方を優先させることだって、
究極を言ってしまえば村のことなんか放って
好き勝手に船で繰り出すことだって
できたわけです。

もちろんそれをさせなかったのは
両親をはじめ、村の人々への思いが
あったからだろうとは思うのですが、
そこまでの間に深く心を通わせる描写が
あったのはおばあさんとだけだったので、
モアナ自身の思いをはかりかねたというか。
ひょっとしたら、使命感だけでずっと
動いているんじゃなかろうかと。

もしもあの冒頭パートの間で、
もう一人だけでもモアナの気持ちに
寄り添ってあげられる人がいて、その人が
後々どこかで間接的にでもモアナを
サポートするような描写があったなら、
彼女の孤軍奮闘ぶりも抑えられたし
あそこまで頑張るモチベーションも
感じられたのかな、と思いました。

特にきつかったのはもちろん演出として
用意されていた、マウイと喧嘩別れして
テ・フィティの心を捨てるシーンですが、
あそこで彼女の気持ちを支えてくれるのは
亡くなったおばあさんや先祖の人達。
といってもあのシーンも実際は
モアナの自問自答でしょうから、
結局あそこで立ち直るのも彼女一人の
頑張りだけなんですよね。

さらに、おばあさんは「しんどかったら
やめたっていいんだよ」というような
声かけをするわけですが、その選択は結局
村の危機という結果に直結するわけで、
もしも彼女がそこまで使命感によって
動かされてきていたのだとしたら、
ある意味選択の余地がないというか
「結局行くしかねぇじゃんか!」状態に
なっていたのじゃないかと思うのです。

だからあそこはあくまで彼女の自由な
意志であるという面が強調されるべきで、
例えばですが前段階で親か誰かに
「あの子は一度決めたら曲げないからな」
と言わせておくとか、
あるいはあの場面で本人から
「ここで諦めるなんて絶対イヤだ」
と言わせるくらいの、力強い描写が
あったら良かったのかなと思いました。
(その辺は単純に台詞の聞き逃しが
 あったらすみません…)

ディズニープリンセスの一連の作品には、
大きなテーマとして「夢は必ず叶う」という
ものがあると思うのですが、
モアナにとっての叶えたい夢とは何なのか、
村を救うことがただ彼女に背負わせた重荷に
なっていなかったかどうかについては、
今回一度観た限りでは正直見極めが
つかなかったので、そこはいずれブルーレイで
見直してみたいと思っています。

個人的にそこの部分がすごく気になったのは、
現実の社会でも「子ども自身がそう言って
るんだから…」と、さも子どもの自由意志を
尊重するフリをしながら、実際には
選択肢を奪ってそう言わざるを得ないように
大人が持っていってるケースがあるからで、
本当に彼らが何の制約もなく
その選択をしたのかについては大人の側が
相当慎重にならなければならないと、
常々思っているからだと思います。

その辺りは親目線でかなり偏った見方を
している可能性があるので、あくまでこれは
個人的に今の時点の自分なりの感想として
まとめておきたかったので書きましたが、
実際には観る人それぞれがそれぞれの視点で
この映画を楽しんでもらえたらなと思います。

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写真は本文とは全く関係なく、
今日きなこに作らされたカップケーキ。
この3連休もいろいろ大変でしたが、
映画を観に行かせてくれた妻に感謝です。

寝ててください

剣城あきらという人物が
多くの視聴者の心を鷲掴みにした本日、
みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか。

我が家でもきなこが先週から今日の放送を
すごく楽しみにしていて、今朝も起きるなり
「今日キュアショコラ出るよね!」と
言ってきたし、僕自身も変身シーンを見ながら
あまりのキャラの立ちっぷりに
思わず泣きそうになるほどでした。
既存のジェンダーにとらわれない、しかも
ごく自然な形で自分らしさを表現する
ああいったキャラクターを
沢山の子ども達に見てもらえるというのは、
とても良いことだと思います。

さて、そんな中ここ数日我が家では
あんこの早起きに悩まされています。
産後の時期以降はずっと我々が5:50起床、
子ども達は7:30に起こすという生活リズムで
やって来ているのですが、ここ2週間くらい
度々あんこが僕らの起きたすぐ後か
下手したらそれより前に起きてしまい、
さらにはきなこまでもが何の理由もなく
ふいに早く起きてきたり、という日が
幾度となくありました。

正直朝は朝食作り、弁当作り、洗濯物干し、
さらに登園準備に出勤準備等々とやることが
目白押しなので、そこに不確定要素で
子どもが起きてこられてしまうと
非常に困るのですが、何となく過去にも
何度かそういう時期を経験しているような
気がします。

で、日記を遡ったらまさに1年前にも
同じようなことが起こっていました。
これはもしや、我々の間で仮説を立てた
「朝明るくなるのが早くなったから」も
あながち無い話ではないのかもしれません。
実際、天気が悪くて薄暗い日は
2人ともなかなか起きなかったり
ということもあるのです。

もし本当にそれが原因だとしたら、
僕の中で春を嫌う理由がまた一つ
増えてしまいそうです。

どうか我々のためにも、
「春眠暁を覚えず」を実践してもらいたい
ものです。