シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

「育てられ方」の連鎖を止めるために

この週末、とある勉強会に参加してきました。
子どもの事件や自立支援に積極的に取り組む
弁護士の方を講師に呼んで、
若い人たちが直面している様々な問題や
それに対して大人は何ができるのかを
考えよう、という趣旨です。

実際に、親子関係が断絶してしまったり
居場所を失ってしまった少年の事例などを
聞きながら、彼らにどんな支援の手を
差し伸べることができるかを学ぶ内容でした。

その中で、日本全国に電話での相談窓口や
緊急避難先としてのシェルターがあり、
将来に向けての自立支援の為の施設があり、
それらは全て弁護士の皆さんが
自らお金を出し合って運営しているのだと
いうことを知りました。

そういったものの存在が、果たしてどれほど
今まさに困っている子ども達に知られているか
という課題もありますが、それ以前に
こういうものが国としての取り組みではない
ということに、毎度のことながら
激しくがっかりさせられました。
(もちろん「児童相談所」というものは
ありますが、あちらは全く手が足りておらず
支援が行き届いているとは到底言えない、
というのはよく聞く話です。)
子育て支援のみならず、危機に直面していたり
そうでなくても十分に安心して暮らすことが
できていない子ども達を、国として支える
仕組みが持てていないことに、大変情けなく
申し訳ない気持ちになりました。

また、今回事例として聞いたのは特に深刻な
例だったと思いますが、濃淡の差はあれ
きちんと人として尊重されているとは
言い難い状態にいる子どもというのは
それこそ数限りなくいると思われるので、
そう考えるともちろんシェルターの存在や
こういった弁護士さん達の取り組みは
本当に重要だし、心からありがとうございます
という気持ちになるのですが、
そうやって浮かび上がってくる深刻なケースに
一つ一つ対処していくだけでは、根本的な
解決にはならないんだろうなとも思います。

全ての子ども達が、人として大切に扱われ、
きちんと自分の居場所が持てて、
日々の暮らしを安心して送ることができ、
自分の生きたいように人生を選んでいける
ようになるためには、
まず最も身近な存在である親のことを
どうするか考えなきゃいけないし、
さらにそれを取り巻く社会全体が
どうやってそれを成し遂げるかを
考えなきゃいけないんだろうと思います。

勉強会の中で、「子どもに人権なんて
とんでもない!」などと言ってくる大人が
いるという話がありました。
正直それは極端な意見でも何でもなくて、
濃い薄いの差はあれ私達の中に何らかの形で
しみわたっている考えなのではないかと
思うのです。
「子どもは大人の言うことを聞くもんだ」
くらいの表現になれば、恐らく否定する人は
そんなに多くないんじゃないでしょうか。

一体私達が、どうしてそういう価値観を
持ってしまったかと言ったら、それは結局
上の世代から「そう育てられたから」でしか
ないんだろうと思います。
そしてさらに、その上の世代がどうして
そういう育て方を私達にしたかと言えば、
その人達もやっぱりその上の世代によって
「そう育てられた」から、
彼らはそのやり方しか分からなかったから、
そうしたのだろうと思うのです。

それはある意味仕方のないことではあるし、
むしろどうやってその「育てられ方の連鎖」を
止められるかを、これから私達は考えるべき
なのだろうと思います。
というより、今まさにこうやって子育てに
取り組む現場にいる私達には、それができる
とても大きな可能性を与えられていると
考えることもできると思います。

課題は、どうやって私達一人一人がその
気づきを得るか、ということだと思います。
自分自身の体験として一つのヒントは、
以前も紹介した『子育てハッピーアドバイス
という本に出てくる、
自分の受けた子育てを振り返る」という
取り組みです。
自分が子どもの頃、親や周囲の子どもから
されてイヤだったことを、ちゃんと
「あれはイヤだった」と認めること。
無理矢理「あれは必要なことだった」とか
「あの苦しさがあったから今がある」などと
今の自分を正当化するのに使わないで、
イヤだったことをイヤだったと
素直に受け止めること。

それができれば、それを子ども達にしない
というだけでも随分変わるような気がします。
もちろん全くしないようにするのは無理でも、
「これが正しいことなんだ」と思っているのと
「あんなことされてイヤだったな…」と
自覚できているのでは、きっと子どもに向かう
姿勢として必ず違いが出てくると思います。

そしてさらに、それは必ずしも子育て中の
親だけの話ではないと思うのです。
いま生きている全ての大人達が、
子どもの頃されてイヤだったことを
きちんとイヤだったと認められれば、
そしてそれをわざわざ次の世代に同じ思いを
させなくてもいいじゃないかと思えれば、
社会全体がそういう方向に向かうだろうし、
子どもを育てる責任を負っている親たちの
気持ちは今よりはるかに楽になるはずです。

自分達の過去と向き合うのには、
それ相応の難しさがあるとは思います。
自分の過去を美化せず、否定しなければ
ならないとすると、これまでの自分自身の
やってきたこと言ってきたことが全て
自責の念として襲いかかってくる可能性が
あるからです。

それでも、これから先ずっと
そのことに薄々気づいていながら
見て見ぬ振りをして生きていくくらいなら、
どこかで自分の過去と向き合ってしまい、
そこから再出発した方がはるかに気持ちは
楽になります。
それは、自分自身の体験として
言えることでもあります。

これからの子ども達のためにも、
そして私達自身がこれからの人生を
人として尊重されて生きていけるように
なるためにも、一人一人が自分自身に
向き合えるようになることを祈っています。
またそのためのヒントを、これからも
探っていこうと思ってます。


今回の勉強会で色々な話を聞いたことで、
またその場で自分なりに言葉にしたことで
これまで考えていたいろんなことを
まとめるきっかけになりました。
その機会を与えてくださった方々に
改めて感謝するとともに、
これからもっともっと考えていこうと
思った今週の出来事でした。