シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

かつて子どもだった全ての皆さんへ

子どもの時代を経験したことのない方は
恐らくあまりいないのではと思いますが、
そんな、かつて子どもだった皆さんに
いま大人の顔をして生きている一人として、
謝らなくてはならないことがあります。

私達は、皆さんにひどいことをしてきました。
たとえば、
「言うことを聞きなさい」
という言葉。
言い方の違いこそあれ、同様の意味の言葉を
言われたことのない子どももまたそんなに
多くはないのではないかと思います。

当然子どもですから、最初のうちは
そんなこと言ったところで通じないでしょう。
その時、かなりの確率で大人はその後に
「もし聞かないなら…」と、まるで相手を
脅迫するような言葉を続けてしまいます。
さっさと起きないなら。
勉強しないなら。
残さず食べないなら。
ルールを守らないなら。
さらにその後ろにどんな言葉が入るかは
様々だったでしょうが、きっと子どもにとって
好ましいものは一つもなかったはずです。

私達大人は、そういう言葉を使うことで
子どもに言うことを聞かせてきました。
それは、「恐怖」を道具に使った脅迫であり、
支配であり、暴力であったと考えています。
たとえ直接叩くなどの行為に及んでいなかった
としても、これは暴力なのだと。

大人がそういうやり方を使ったのは、
何よりそれが楽だったからです。
とにかく子どもを自分達の思い通りに
コントロールするために、恐怖というのは
非常に手っ取り早い手段だったからです。
要するに、「よく効く」のです。
おそらくそれを言う時、私達自身の中に暴力を
振るっているという自覚はなかったでしょう。
それどころか、それが親の愛情なのだとか、
そうやって厳しくすることで子どもは成長する
などと思い込んでいたのでしょう。
あるいはそう言い訳することで、自分の中の
後ろめたさをごまかそうとしていたのかも
しれません。
いずれにしても、本当に多くの大人達が
当たり前のように、そのやり方を使って
子どもに言うことを聞かせてきました。

でも、体の大きさも、力の強さも、知っている
知識の量も、つながっている世界の広さも、
大人と子どもとでは圧倒的な差があります。
その関係の中で「言うことを聞かないなら…」
と脅されることは、子どもにとって
何より恐ろしいことであったのではないかと
思うのです。

子どもは、大人の援助がなければ
生きていくことすらできません。
そんな状況で、この人に従っていないと
援助を受けられなくなるかもしれない、
生きていくことができないかもしれないという
恐怖があれば、子どもだって言うことを
聞かずにはいられなくなるでしょう。
どれだけ大人の側に自覚がなかったとしても、
その言い方は子どもにとっては
命の危機に直結するような脅しとして
作用してしまっていたはずです。

さらにそういうことをすることで、
子どもの中には次の3つの気持ちが生まれて
いたのではないかと考えています。
まず1つが、逆らうと自分の身に恐ろしい
ことが起こるのではないかという恐怖。
もう1つは、どうせ何かを望んでも
聞いてもらえない、望みを持つと
かえってつらい思いをするという諦め。
そしてもう1つは、自分はこんな扱いを
受けても仕方のない人間なのだ、という
自己否定です。

そうやって生まれた気持ちは、
簡単には消すことができません。
人によっては、十分に大人の年齢になった
今になっても、その気持ちにとらわれて
苦しんでいるかもしれません。
恐怖を紛らすために安心感を求め続けたり、
何かを望むことはバカバカしいと冷笑して
まるで初めから諦めてしまうことが
大人な態度のようなポーズを取ってみたり、
自分は生きていてもしょうがないんだ
役に立たなければ価値がないんだと思い込み
さらに酷い扱いすらも受け入れてしまったり、
幸せになることがまるで悪いことのように
感じてしまったり。
そんな気持ちに、心当たりはないでしょうか。

ところで、大人達がそういうやり方でしか
子どもを育てられなかった理由には、
他にも思い当たることがあります。
その1つはその大人自身が、子どもの頃に
さらにその上の世代の大人達から
そういうふうに育てられてきたから。
そのやり方しか経験していないせいで、
「これが正しいやり方なんだ」と
思い込むしかなかったのです。
それが間違ったやり方だと認めることは、
自分達自身の子ども時代がいかに惨めで
どれだけ酷い扱いを受けてきたかを
正面から受け止めざるをえなくなります。
それができなくて、記憶を封印したり、
「あの時の苦しみには意味があったのだ」
と美化しようとしてしまったのです。
そしてそれと同じことが、皆さんの中でも
起きているのではないでしょうか。

さらにもう1つの理由。
たとえば母親が、自分の子どもに対して
言うことを聞かせられないのを見て、
怒ってくる人がいたからです。
「うるさい」
「しつけがなってない」
「それでも母親か」
そういう声から逃れるために、
とにかく早く子どもに言うことを聞かせる
必要があったのです。
親自身が、さらに強い「社会」の脅迫から
身を守らなくてはならなかった。

他にも、探せば理由は見つかるかもしれない。
ただここではっきりと言っておきたいのは、
それらの理由は全て、大人の側の都合なんだ
ということです。
別に子どもが頼んでそうしたわけじゃない。
自分のことを恐怖による暴力で脅して、
何でも言うことを聞く素直で従順な人間に
育てて欲しいと、子ども達自身が
望んだわけではないはずです。
全ては大人が、その大人達で作る社会が、
自分達の都合で好き勝手に子どもを扱い、
暴力を持ち出し、恐怖で支配し、
成長した後もそのダメージから
回復できない人間を作るようなことを、
繰り返してきた結果なのです。

私達は、そのことを反省しなければならない。
暴力を使ったやり方は間違いだったと、
はっきり言い切らなくてはならない。
私達大人は、子どもに暴力を振るい、
その尊厳を著しく傷つけてきた。
そのことを謝罪しなければなりません。
本当に、本当に申し訳なかった。

大人の役割は、子どもが自ら成長し
自立できるようになるまでの
サポートをすることです。
皆さんが「この世界に生まれて良かった」と
思えて、これから先の人生を楽しめるように、
必要な知識を伝え、いろいろなものの見方や
考え方があることを、示してあげることです。

それができるような存在になるために、
まず大人が成長しなければ、と思います。
私達が未熟であったことで、皆さんに
とても酷い仕打ちをしてきてしまった。
その事実と向き合い、
どうすれば自分達は大人になれるのか、
これからしっかりと考え続けていきたいと
思います。