シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

"子育ち"宣言

昨日は、子どもを自分の所有物のように考えている
(本人には自覚はないだろうけど)
人と長く話をして大変ウンザリしたので、
改めて子育てに対する自分なりの心構えようなものを
これから先の僕自身へのメッセージも込めて、
少しまとめておこうかと思います。

そもそも僕は、「子育て」という言葉にすら
若干の違和感を覚えてしまう人間です。
「育てる」行為の主体が、親の側にあるからです。
それよりもっと子どもに主眼を置いた言葉、例えば
「子育ち」が普及すればいいのに、と思っています。
あくまで育っていく子どもをメインに考え、
親はその「育ち」をサポートするスタンス。
そういう目線に立って考えたいのです。
なのであえてややこしい言い方をすると、
例えば「子育てサポート」だったら
「子育ちサポートのサポート」という感じです。

もし親の役割を一つあげるとしたら、それは
「子どもの命を守る」ことであり、
決して「子どもを自分の理想通りに仕立て上げる」
ことでもなければ、断じて「子どもを精神的に
支配する」ことでもありません。
子どもは、この世に生を受けた瞬間から
一人の人格であって、そこからどのように育つか、
どんな人生を歩むかは完全に本人の自由です。
親がすることは、本人の命の歩みが止まってしまう
ことの無いように、後ろから支えてあげるだけです。
そしてもし、子どもが迷ったり悩んだりして
自分を頼ってきてくれた時に、しっかり気持ちを
受け止め、話を聞いてあげた上で、
人生の先輩として自分の経験から学んだことを
アドバイスしてあげる。
それくらいのことじゃないかと思います。

これが僕が考える、親と子どもの基本的な関係です。
そして、そのスタンスをしっかりと保った上でなら
親の側からのわがままを発動することは、
決して悪いことではないと思っています。
親だって人の子です。子どもに対していろんな願望が
あることでしょう。
こんな服を着せてあげたい、こんなことに
興味を持ってもらいたい。そして、できたら
こんな人生を歩んで欲しい…。
いろんな思いを子どもに託すこと、良いと思います。
でもそこで「これは自分のわがままなんだ」という
自覚だけは、やっぱり持っておいたほうがいいです。
決して子どもがその通りになると思っちゃいけない。
あくまで親の一方的な願望であって、
それをどう受け止めて、どんな選択をするかは
やっぱり全て子ども自身の自由です。
僕も、そのことをきちんと本人に伝えた上で、
思いっきりわがままを言おうと思っています。
それが楽しみだし、結果ちっとも思った通りに
ならないだろうことも、また楽しみです。

通りがいいのでこれからも「子育て」「育児」
という表現は使うとは思いますが、
主体がどちらにあるのかということ、
そして自分が思い描くのは全てワガママであること。
それはこれから先もずっと忘れずにいたいですね。