シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

「やっといた方がいいんだろう」が奪うもの

先週断念したきなこのインフルワクチン
一週遅れで無事に接種できました。
本人の中でメリットデメリットの整理ができた
ようで、自分から言い出してのことでしたが
いざ注射器を前にした時はやっぱり恐怖で
暴れそうになったので、改めて本人なりの
感じ方というものを実感したし
本当に無事に終わってよかったなと思います。

一方学校では、運動会が終わったと思ったら
今度は学芸会の練習が始まっているらしく、
相変わらずやることで埋められている感じが
子ども達は大丈夫なのかなと心配になります。

本当にみんな、こんなにも「やるべきこと」の
洪水が必要なんだろうか。
そこまであれこれ課題をこなし続けないと、
子ども達は成長できないんだろうか。
そんな思いがあって、先日Twitter
下のようなつぶやきをしました。


もちろんこれはなんの裏付けもない
素人の思いつきですが、ただまあ
「嫌々やらされることより自分からやりたいと
思ってやったことの方が身につく」というのは
割と誰でも実感として持ってることなんじゃ
ないのかな…と思います。
実際北欧の小学校などでは、まずその日に
やりたいことを子ども達が一人一人
自分で決めてから取り組むということを
やっているそうです。
だからむしろ、じゃあ何でそうできないのか、
なぜ我々は子ども達に「やりたくないことでも
やらせなきゃ!」と思ってしまうのかを
考えた方がいい気がします。

たとえば「すくすく子育て」なんかでも、
寄せられる育児の悩みのたいていは
大人の側の心の問題だったりするわけです。
「うちの子は○○が平均よりできないようだ、
このままではこの先…」みたいな感じで。
そんなの「平均」という言葉の意味を考えれば
ほとんど半分の子は当てはまるんですよ、と
いう話になるんですが、それでもあんなふうに
すごく大変なことだと感じた人達が
日々あの番組を頼ってやってきている訳です。

その不安を感じるなと言うことはできないし、
実際我が家だってあんこの言葉の遅れに
全く不安がないといったら嘘になります。
ただ、その気持ちの膨らみが、
学校における「とりあえずやっといた方が
良さそうなことは全部させる」という姿勢に
繋がっているのではないか、
我々は子どもに際限なく課題を与えることで
自分達の心の安定を図っているのではないか。
そういう疑問があったが故に
ああいうツイートになったような気がします。

私達が不安を感じるのには当然理由があって、
それは自分達自身がこれまで生きてきて
こういうことで苦労したから、それを味わって
欲しくないという思いもあるでしょう。
また先ほどの北欧の例でいえば、たとえ
どんな育ち方をしたとしても
少なくとも生きていくのには困らないはず、
という社会制度への信頼もあるのでしょう。
だから別に「やりたいことだけやらしときゃ
いいんだ」なんてことは主張しませんし、
そこはバランスでしかないと思います。

ただせめて、そこは常にチェックする癖を
つけておきたいな、と思うのです。
我々はつい「やらないよりはやった方が
いいんだろう」という雑な感覚で子どもに
いろいろやらせてしまいがちという前提で、
それが単なる大人の側の不安を紛らすための
ものになっていないかどうか。
そして、子どもがそうやって
「やりたくないのにやらなきゃいけないこと」
に費やした分だけ、本来なら彼ら自身が
「やりたいこと」に使えたはずの彼らの人生の
貴重な時間は削られているんだ、という感覚は
どこかに持っていたいなと思うのです。

別に全てに備えて今のうちからあらゆることを
経験させておこうなんてしなくても、
本人が必要だと思えば後からだって
そこに労力をかけて身につけようと思うはず。
それくらいの信頼を持って接したいし、
そんなふうにできる社会であることが
理想だな、と思います。

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その後、「がんばりポイント」も順調に
運用されています。
「2ポイント100円で新しいゲームの購入に
使える」というルールをつけたことで、
その時々でプレイ時間に使われつつも
基本的には貯める方向に行っているようです。

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