シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

公園で、あるいは街中で

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この週末は家族で、一年半前にも行った
大きな公園へピクニックに行きました。
ピクニックというのはきなこの希望で、
お弁当とシートを持って、地べたで食べる
スタイルで。
もうすぐ長い長いお休みも終わるので、
思い出づくりというほどでもないですが
本人の希望をなるべく実現させました。

折しも桜がいい具合に咲き始めていたので、
お花見も含めて公園内は大変な賑わい。
僕らは遊具が建て並んでいる一角で
ずーっと過ごしていたのですが、
時間とともに子どもの数が増えていき、
一番人気の遊具には常に順番待ちの
行列ができるほど。
そんな中きなこはそこに計4回も並び、
あんこも2歳はちょっと難しいようなものにも
果敢にチャレンジし、2人とも十分にその
ちょっとだけ特別な一日を満喫したようです。

この公園の遊具の充実ぶりを見ても
集まっている子どもの数を見ても、
その街全体が子育て世代にとって暮らしやすく
デザインされている印象をとても受けるので、
これだけ何でも揃っていたら便利だろうなぁと
うらやましい気持ちになるのですが、
ただだからといって住んでいる人達が
みんな余裕を持ってのびのびと子どもを
育てられているかというと、必ずしもそういう
わけでもないんだろうな、ということもまた
その日一日子どもに付き添うたくさんの
親御さんの姿を見ていて感じてしまいました。

具体的に言うと、たとえば「子どもが相手に
迷惑をかけることを極端に恐れている」。
子どもが何か粗相をしないか注視していて、
ちょっとでも望ましくない行動をすれば
途端に制止の声が飛び、あるいは直接行って
止めに入ったりする。
しかもそのやり方がとても手厳しい。
ちなみにこの日経験した、見ていてとても
つらかったシーン、2選。
1.すべり台で下にまだ他の子がいるのに
降りてきてしまった2~3歳の子を
抱き上げて連れて行きお尻を叩き怒る母親、
さらにその後「何が悪かったのか」を
懇々と説教する父親。
2.すれ違いざまだったので姿は見ていない
けれど、「そんなんじゃ新しい保育園でも
友達なんかできないよ!?」と、
(おそらく母親に)言われる子ども。
いったいどれだけの罪を犯したというのか、
というぐらいの勢いで怒られている
子どもの姿を見る度に、何もできないけれど
胸がキュッとなります。

もっとも、そういうシーンに出合うのは
別にその公園だけのことではないんです。
普段生活していても、時には近所の道端で
あるいはお店の駐輪場で、月に一度くらいは
そういう感じで親に厳しく言われる子どもを
見かけているような気がします。

もちろん、一瞬見かけただけのことなので
普段の親子の関係なんてわかりませんし、
親御さんにしてもたまたまその時ストレスが
頂点に達してキレてしまった瞬間を、僕が
目撃しまっただけなのかもしれません。
僕だって、子ども2人をつれて買い物に出て
イライラがたまって子どもにキレてしまう、
なんて経験は一度や二度ではありません。

だから、そうなってしまうのもわかるのです。
ため込んだストレスをそのまま子どもに
ぶつけざるを得ないような、余裕のない状況で
毎日子どもと向き合ってるだろうことを。
子どもがよくない行動をしているのを親として
ちゃんと止めないと、自分自身が周りから
どんな叱責を受けるかもわからないという
プレッシャーの中で子育てしていることを。
自分が子どもの頃からそうやって言われて
育ってきたから、他に言い方がわからないし
子どもにはそうやって接するもんだと
信じ込まざるを得なかっただろうことを。

でも、あえてキツい言い方をするならば、
「それはお前らの都合だろ」とも思うのです。
子どもからすればそんな都合など関係ない。
よくわからない理由で、どう考えたって
過剰な怒られ方をする。
こんな理不尽なことはないわけです。
親がもっと余裕を持って、ストレスの処理は
他で済ませた上で子どもと向き合えるように。
親が社会から肩身の狭い思いをしないで
誇りを持って子どもを育てられるように。
親が「なぜこんな言い方しかできないのか」
「もっと子どもを傷つけないで子どもと接する
やり方はないのか」を自分達の頭で考え、
一人一人がスキルを身につけられるように。
そういう問題解決は、それができるだけの力を
持っている大人の側が、何とかして成し遂げる
べきことだと思うのです。

子どもにとっては自分の世界は
自分を育ててくれる相手との間にしかなく、
その人に命を握られている以上
どんな仕打ちを受けようとも耐える以外に
選択肢はありません。
どれだけ理不尽でも、それに立ち向かう力も
それはおかしいと指摘する知識も
まだ持ち合わせてはいないのです。
だから大人の側が何とかするしかない。
今は、大人の社会の不備によるしわ寄せを
子ども達に押しつけている状態だと思います。
そのことを自覚しなきゃいけない。

じゃあ実際どうすればいいのかを、
この場ですぐ答えを出せるような問題では
もちろんないと思います。
まずはそうやって子どもという犠牲者を
日々生みだしているのだと自覚する、
そのことですら難しいことだと思います。
ただ1つだけ、これは僕自身がこれまで
何百回と自分に言い聞かせてきたことで、
どうしてもそれだけは声を大にして
言いたいと思っていたことがあるので
ここに書いておこうと思うのですが、
それは「2人がかりにならないこと」。

たとえば子どもに親が2人いるとして、
2人が嵩にかかって責め立てたら、
その子どもは完全に逃げ場がなくなって
しまいます。ただでさえ圧倒的に強い
相手から怒られることだけでも恐怖なのに、
それが2人で、しかも他に味方がいない
家庭の中でその状況になるのだけは、
どうにかして避けてほしい。
一方の親が厳しく子どもに接した時には、
どうかもう一方の親は子どもの側に
立ってほしいと思うのです。

またそれは、一人が激しく怒った後に
もう一人は優しく諭す、ということと
思われがちですが、違います。
もう一人には、子どもの言い分を
聞いてあげること、子どもの気持ちを
代弁する役割をやってほしいのです。
さっきの公園の例で言えば、
母親が子どもを叱った後、父親は
優しい口調で「何が悪かったのか」を
子どもに伝えていました。
でも子どもにとっては、それでは結局
2人に立て続けに怒られていることにしか
ならないと思うんです。
まず最初に子どもの立場に立って、
「キミも恐かったよね」でも
「どこも痛くない?」でも何でもいいから、
とにかく子どもの気持ちを聞く役目の人が
必要だと思います。

どうか今まで街で見かけた子ども達に、
そういう形で支えてくれる大人が1人でも
いてくれることを、願ってやみません。