シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

「自立とは、依存先を増やすこと」

タイトルは、熊谷晋一郎さんという方の
言葉からの引用です。

自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと | 東京都人権啓発センター

自立は依存の反対語と思われているけれど、
実際は何にも依存していない人なんていなくて
むしろそれが沢山あるがゆえに
一つ一つを意識しなくても済んでいる状態が、
つまり自立であると。

それを受けて、先日自分の中で考えたことを
図にまとめてみました。
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人は、生まれたばかりの時点では何もできず
目の前の養育者(大抵の場合は親)に
全てを任せている状態です。
つまりその時、依存先は一つだけと言えます。
それがやがて成長するに従って
実際に自分でできることが増えるだけでなく、
周りの世界の広さも見えるようになってきて
「こんな時はどこに頼ったらいいのか」
という選択肢がどんどん増えていきます。
そうやって依存先を増やしていって、
どんな事態でも困ることなく解決できる
状態になることが、つまり自立なのだと。

上の記事の中で熊谷さんは障害者のこととして
話していらっしゃいましたが、
子どもが成長して自立していく過程にも
同じことが当てはまるのではないかと
考えたのでした。

十分に依存先の数が増やせている場合、
一つ一つの依存先とのつながりは
さほど強いものにはなりません。
「こちらがダメならこちらで」という状態を
作れるので、自立した人間というのは
それだけ個として自由であるとも言えます。
一方で依存先の選択肢が少ない状態では、
必然的につながりが濃くならざるを得ない。
そこから離れては生きていけないという
思いがあると、たとえその関係性が
あまりよいものでなかったとしても、
なかなか自分から断ち切るというのは
難しいことなのだろうと思います。

またそういった過剰に濃いつながりの中では
力関係によって「支配・被支配」の状態が
作られやすくなるだろうし、相手側もまた
そのつながりに依存しているような場合、
何とかその関係性を維持しようと考えるあまり
相手に選択肢を与えず、自立を妨げる方向に
働いてしまうことがあるのであろうと。
それがつまり、親による「過干渉」のような
パターンなのではないかと思います。

そして、先日の日記でも触れた「所属」のことも、
これと同じ話のような気がします。
少ない選択肢の中でつながりが濃くなると
どんな理不尽な扱いも受け入れざるを得ない、
何とかそこに属している状態を維持するために
自分自身を押し殺してでもしがみつく、
という状態が発生してしまうのだと思います。

ちなみに、依存先というのはたとえば
ストレスへの対処のような場合にも必要で、
その人が受けたストレスを解消しようとして
誰かに八つ当たりしてしまう、という時も
結局はその相手の存在に依存していると
言えるのではないかと思われます。
やたらと周りに対して攻撃的な子を見たら、
その子ども自身が受けているストレスが
周囲の誰かにぶつけないといられないほど
大きい状態になってしまっている、
という可能性をまずは考えた方がいいの
かもしれません。

そしてさらに、依存先には「自分自身」も
含まれるのだろうと考えました。
上のストレスへの対処のことで言えば、
他人にぶつけて処理するのではなく
自分の中で解消できる方法を身につけている
というのは、誰の力も借りることなく
生きていけるということで、恐らく一般的な
「自立」のイメージに近いものでしょう。
またその人自身に備わっている自己肯定感が、
外的要因に左右されないという理由で
大きな依存先の一つになる場合も
あるかもしれません。

ただ、それが「我慢強さ」や「根性」のような
ものになってしまった場合、それは決して
無尽蔵に湧いて出るものではないし、
むしろ命を削って無理矢理生み出すような
種類のものなので、そこに依存するのは
かなり注意が必要な気がします。
いずれにしても、自分自身を依存先にするのは
誰もが陥る可能性のある不測の事態
(つまりは体や心の不調など)
に対処ができなくなるので、やはり他にも
たくさん選択肢を用意できた中の一つくらいに
とどめておくのが良いのだろうと思われます。

長々と書いてきましたが、
私達が子どもを育てていく上で
もし何かゴールがあるとするならば、
それはつまり子どもが自立すること、
それを身近な存在としてサポートすることに
あるのだろうと思います。
もちろん本人が依存先をたくさん見つけだして
安定した状態を作れるのが一番ですが、
そのためのヒントを提供したり、彼らがそれを
見つけやすいように道筋を示すことなどは
先輩として手を貸してあげられることのような
気がします。

ただでさえ子どもたちは、はじめのうち
ごく狭い世界しか知りません。
そんな彼らが家にも学校にも幼稚園にも
安心できる居場所がないとか、
逃げ場のないまま今の関係にすがるしかない
というような状況を作らせないように、私達は
気を配るべきなのではないかと思っています。

もちろんそれは、親だけが頑張って
できるようなことでもありません。
むしろそれより外側から差し伸べられる手、
つまりは社会全体が子どもの依存先を
増やしてあげて、自立を促してあげるような
働きかけこそが必要なのだろうと思います。