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シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

「すみません実は分かりません」

思うこと

平和です。

何しろこの季節にして、現状家族の誰も
風邪を引いていません。
もちろんあんこは何か不満なことがあれば
すぐ全力でブチ切れて泣き叫ぶし、
きなこのわがままっぷりにはほとんど一日中
イライラさせられているしで、冬休みに入って
たった3日で既に朽ち果てそうですが、
去年の大変さのことを思えば
やっぱり今年の年越しは極めて平和です。

さらに今日は気候も大変良かったので、
大掃除も大変はかどりました。
(夕方疲れすぎてダウンしましたが…)
明日からの後半戦も、こんな感じで
平和だといいなと願いつつ。

さて、今日は今年一年の振り返りでも
しようかと思いましたが、思い返しても
しんどかった記憶しか出てきそうにないのと、
どうせ数時間後にはまたいつも通りに
子どもの世話が始まるし…と思うと
そんな気分にもなれないので、
ちょっと最近思っていることなんかを。

若い頃、よく「自分は張り子のようだ」
なんてことを考えていました。
転職を繰り返し、専門性も何も持ってない
世界に飛び込むことばかりだったので、
基礎となるものがないまま外側だけを
固めているような、
中身が空っぽのまま殻だけ厚くしているような
感覚を常に感じていたような気がします。

そういう自覚があると(なくても?)、
「ここに踏み込むとマズいな」という部分を
上手に避けようとする技術ばかりが
身に付いていきますね。
わからないことがバレないように、
自信がないことを悟られないように、
ハッタリばかりが上手くなるのです。

本当は早い段階で
「すみません実は分かりません」
「ごめんなさい本当はできないんです」
ということが言えればいいんですけど、
それを言えるにはまたそんな自分に自信が
必要だったりして、これがなかなか難しい。
でも、そうやってごまかして避けた結果、
結局問題はそのままそこに残るのです。
だって解決してないんだから。
この悪循環は、未だに自分の中にいろんな所で
わだかまったままになっているので、
この先もいつどこで噴出するかわかりません。

実は、今の日本の「問題の解決できなさ」も
これと同じような形で起こっているんじゃ
ないかと思っていて、
「実は分かりません」「本当はできません」を
言いだせないばっかりに、
結果としてその問題から目を背けるか、
問題そのものをなかったことにしてしまうか
という悪循環に陥っているような気がします。
そういう、できない自分達と向き合わない限り
今後も問題が解決する方向には行かないんじゃ
ないかと勘ぐっていたりするわけです。

そしてさらに、子育てのことに関しても
全く同じことが起こり得ると考えていて、
自分の子どもが生まれた時点で
子育ての専門家だなんて人は殆どいません。
まして一人一人対応が変わるものであることを
考えると、「この子の子育て」に関して
最初から私はプロであるなんて言える人は
皆無です。

誰も最初は完全なる初心者なのが、子育て。
なのにそのことを自分から言えない環境が
あるんじゃなかろうか。
母親には「できて当たり前」という
社会からの謎なプレッシャーが、
父親にも「知らないと認めることは恥」という
自分達で作り上げたこれまた謎な価値観が
それぞれ悪い方に作用して、
一方では思ったように上手くできないという
現実によって本人を大いに苦しめたり、
一方ではそもそも「育児という問題」から
目を背けさせる力になってしまっている。

だから、まず我々は子育てに関して
「分かりません」「できません」が
普通に言える状態にしなきゃいけない。
もともと答えもなければ解決法もないのが
子育てという世界です。
だからそれをやる人間は不安でいっぱいだし、
何年取り組んでも悩むし、毎日だって迷うし、
あわよくば逃げ出したくもなるし、
その重すぎる責任を一人で受け持つなんて
無理なものなんだ。
そういう認識をみんなが持てるように
しなきゃいけないんじゃないか。

「子育て」という問題自体に解決方法はないかもしれないけれど、
「子育て環境」という問題ならば、
ちゃんと取り組めばちゃんと解決できるもので
あると思います。

みんなが少しでもラクに、
楽しく子ども育てていける、
そんな世の中になることを祈って。

良いお年を。