シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

改めて、北欧との大きな違い

昨日、こんな番組がありました。

AI LOVE❤ベイビー 子育て王国フィンランドSP
| BSフジ

【プレビュー】
「子育て王国フィンランドスペシャル」
――お母さんにやさしい国フィンランドの
 子育て事情がまるわかり

僕もそれなりにフィンランドをはじめとする
北欧各国のことには興味を持ってきたので、
番組の内容自体はさほどの真新しさもなく
サラッと見終わってしまいましたが、
ただこれまで北欧の人達のものの考え方に
多くの影響を受け、また育児に限らず
様々な点でお手本にしてきた中で、
今回改めて番組を見ながら彼らと日本との
違いについて考えてみた時、それは
実はきわめてシンプルな「人の育ちに対して
注がれるものの圧倒的な差」ではないかと、
強く感じたのでした。

注がれるものというのは、もちろんお金であり
また人々の意識そのものでもあります。
日本では、最近でも子育て支援の拡充や
保育士の待遇改善の話が国会の場に出ると
途端に「財源が…」という声が聞こえてきて、
今の政権はよっぽどお金を出したくないんだな
というのが丸わかりなのですが、そこは結局
「今あるものをどこにどれだけ振り分けるか」
ということでしかないと思うわけです。

つまりその度に財源の話を持ち出される時点で
そもそも子どものことに公的なお金を
振り分けることに関して、社会としての
合意が全くできていないんだろうなと
感じないわけにはいかないのです。
要するに、社会全体として圧倒的に
「子どもにお金をかけたくない」。

日本がそういう感覚になってしまったのも、
何となく分かります。
いつの頃からか、育児は女性だけのものになり
逆に男性は労働力として、利益だけを考えて
生きることを求められるようになりました。
それだけでなく、女性への差別が非常に強く
社会の意志決定の場がほぼ男性だけで
構成されているこの国では、
そういう男性側の認識が社会の仕組み作りの
基本になってしまっています。

結果、ただでさえ女性蔑視のせいで育児を
「女のやること」と軽く見るのに加えて、
自分達がやらないことは簡単そうに見える
という二重の悪影響が生まれてしまった。
お金を稼ぐことだけを担わされた人達、そして
「子どものことなんか俺には関係ない」と
思っている人達が、一円も稼げない人間なんて
無価値であるという考えに基づいて、子どもを
社会の厄介者にしてしまったのだと思います。

デザインを何もわかっていないクライアントが
「そんなもん簡単にできるんだろ」と
考えるのと同じような感覚で、
「子どもなんて放っときゃ勝手に育つだろ」と
思ってしまっているんだろうと思います。
そりゃお金だって出ないよね、という訳です。

優劣感を煽ることで人々の競争心を駆り立て、
「子どもがちゃんと育たなければ母親の責任」
と罪悪感で親の尻を叩きながら、
「一生懸命やれば必ずできるはずだ!」
などと具体的な指導も何もない根性論を
振りかざしているだけで、勝手に子どもが
育っていくと思ってるなら、それはあまりにも
子育てというものを見くびりすぎだし、
何より「一人の人間が育つ」ということを
あまりに軽視しすぎだと思います。

それに、子どもの時に軽く扱われて育ってきて
それが大人になったら急に大事にされるように
なるわけもないので、結局は日本がそもそも
「人」というものを大事にできない国だ、
ということなのだろうと思います。
別に日本に強くなって欲しいとは
微塵も思っていませんが、それにしても
元々人くらいしか頼るもののないこの国で、
ここまで人間というものを軽く扱っていて、
それでどうにかなれると思ってるとしたら
我々はどれだけ楽観的なのか、はたまた
いかに何も考えないようにしているか、
ということのような気がします。

北欧というと、その税金の高さばかりが
注目され、国の規模などの比較を根拠に
「日本でそのまま通じるわけがない」などと
言われたりしますが、本当は一つ一つの
政策の違いなどという方法論の話ではなく、
何より「人を大事にできる度合い」が大きく
違ってしまっているのではないかというのが、
今回改めて感じさせられたことでした。
逆に、だとすれば国の大きさや風土など
関係なく、やろうとすれば今すぐにでも
やれることなのではないか?ということも。

月並みな言い方ですが、経済的な豊かさが
幸せの指標だと思い込まされている我々は、
どうせ経済的に豊かでなくなった途端に
不幸感に襲われるのは目に見えている訳で、
しかしまだまだそんな意識が主流派な中、
いずれはこの社会を次の世代に引き渡して
いくことになるのだということを、
いま子どもを育てている親の一人として
考えないわけにはいかないのです。