シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

男性の育児参加は女性差別解消とセットで

■「イクメン」は根付いたか

イクメン」という言葉も広まった昨今、
男性有名人などからも育児に積極的に関わろう
という動きが数多く見られるようになり、
日本全体でも着実に育児に関わる男性の数は
増えているのだろうと思います。
若いうちから育児に関心を持つ男性が
多くなってきていることももちろん、
これまで一切関わることなく生きてきた男性が
何かのきっかけで変化してくれているのだと
すれば、それは喜ばしいことと思います。

ただ、そのような流れの中で、1つだけ
気になっていることがあります。
それは、男性の皆さんが一体「何のために」
育児に参加するようになっているか、
その理由の部分。

たとえば「イクメンプロジェクト」の活動は、
ムーブメントそのものの盛り上がりによって
参加者を増やし、潜在的な男性の行動を
喚起しようとしているように見えました。
その為にはまず「盛り上がること」が最優先で
「何のために」の部分はある程度端に置かれ、
・かっこいいから
・とにかく皆がやってるから
・それが時代のスタンダードだから
というイメージを先行させていく
取り組みのように感じられました。

実際その波に乗って、意識を変化させていった
男性も多いのだろうと思います。
そして今も一生懸命育児に邁進している男性も
きっとたくさんいるんだろうと思います。
しかし、その「何のために」が抜け落ちたまま
育児に取り組んでしまったことで、
その後「やってみたけど続かなかった」という
男性もあるいは出てきているのではないか、
という心配があるのです。

・かっこいいから
というのは、いわば今までの男性の価値観を
そのまま踏襲するものです。
つまりその方向で押し進めていくことは、
・モテるから
・人より上位に立てるから
・そっちの方が男らしいから
というように、元々男性の中にある
良いとされる価値観の延長に
ただ「育児」を持ってきただけ、ということに
なりかねないのではないか。

男性自身も、もしそのノリのままで
特にこれまでの自分と向き合うこともせず、
既存の価値観にのっとって行動だけを
変えようとしたとしても、やはり長続きは
しないのではないかと危惧しています。
「かっこいいから」という理由で始めたことは
「かっこ悪いから」という理由でやめてしまう
可能性が高いと思うからです。

実際は育児なんて地味で単調な作業の連続で、
全くこちらの思い通りになんかならなくて、
何の成果も上がらないように感じられること
ばかりです。かっこいい訳がないのです。
さらに、小さな頃から周りに
家事・育児の役割を担うことを期待され、
知識も技術も多くの蓄積がある妻に対して、
付け焼刃で始めたばかりの夫のそれが
そうそう上回っているはずもなく、
当然家庭内でのスキルの差は歴然です。
それを受け入れられない男にとってその状況は
やっぱりかっこいい訳がないのです。

育児で「かっこいいから」を理由にするのは、
現実には相当無理のある切り口だと思います。

■男性の差別意識はある前提で

そうやって考えていくと、思い至るのは
男性が持続的に育児に取り組む為には、
その前にまず自身の男性としての価値観と
向き合うことから始める必要が
あるのではないか?ということです。

その人に備わった男性としての価値観、
中でも特に「女性への差別意識」です。

以前、男性の育児参加を推進する取り組みを
している方が、「女性が言ってもなかなか
聞いてもらえないことも、同性からの声だと
意外にすんなり耳を傾けてもらえる」という
発言をされていたのを見たことがあります。
なぜ、そのようなことが起こるのか。
それは男性の側に
「女性の声は聞く必要がない」
「女性の言っていることは聞きたくない」
という意識があるからではないのか。
話の内容云々以前に耳を塞いでしまうのは、
そもそも「誰が発言しているか」によって
対応を変えているということであり、
それが即ち「差別意識」ではないのかと
思うのです。

文献を見る限り、確かに日本には古くから
男尊女卑の価値観が存在していました。
中でも高度成長期には、男性を賃労働、
女性を家庭での仕事に専念させることで
効率を高めようとした流れがあり、
それによって「外の仕事は男が担うもの、
家の仕事は女のもの」という考え方が
強化されていった歴史があるようです。

今もその考えは残っていて、多くの男性には
女性を自分より下に見る意識とともに、
女性が担ってきた仕事、つまり家事や育児は
自分達の仕事より劣る、という考えが
なお根強く身についていると思われます。
もちろん、それはその人自身の責任でも
何でもなく、社会全体がそのような価値観を
子どものころから押し付け、植えつけてきた
結果として、歴史的事実としてそうなのだろう
というだけの話です。

そして、男性にはそういう意識が自分の中に
あるという認識すらない人もいるでしょう。
生まれた時からそうなっていて、
だからといって別に何の不都合もなく、
周りを見てもその考えに疑問を抱かせる
ようなものも何もない状態であれば、
わざわざ「自分は差別をしている」なんて
意識する必要もきっかけもないと思います。
というより「かっこいい」に代表される
「男らしさ」の中に、そもそも女性への蔑視が
含まれてしまっている以上、むしろ
「男らしくあれ」という教えに忠実な人ほど
その意識が体の中に自然に備わって
いるのではないか、と思えるほどです。

だからといって、そんな感覚を持つ男性が
そのまま「ありのまま」の状態で
育児に手を出すのは、やっぱり不安です。
それは男性自身にとってというより、
育児の分野そのものにとってもです。

■差別意識から解放されると

もしこのまま男性が、「かっこいいから」
「モテるから」「上位に立てるから」という
旧来の「男らしさ」に疑問を持つこともなく
育児に参加するようになっていくと、
どんなことになるのでしょうか。

仮にそういう男性がどんどん入ってきて、
「こんなのおかしいよ」
「もっとこうできるだろうよ」
「俺達が変えてやるよ」
と強い力でどんどん育児の現場や周辺の環境を
変えていくような流れができたとして、
果たしてその末に出来上がるのは
本当に誰にとっても素晴らしいものなのか。
「男だけに都合の良い育児環境」に、
なってしまいやしないだろうか。

考えすぎかもしれませんが、
今の日本において、政治やビジネスの世界は
完全に男性中心で回っています。
そこへ「子育ての世界もかっこいいぞ」という
イメージをただ作り上げることで、
そこすらも男が中心になって回していく世界に
なってしまわない保障はどこにもないのです。

相変わらず女性が置いてきぼりの、
ただ活動のフィールドが変わっただけの
「男性中心の社会」を作らせないためにも、
育児に入ってくる男性の価値観をきちんと
見極めていくことは必要だと思います。

そして逆に考えれば、もしその人の内にある
差別意識を捨て去ることができたならば、
現に女性中心で取り組まれている育児の世界に
入っていくことへの抵抗感もなくなり、
「かっこいい」にこだわる必要もなくなり、
女性達の言葉が素直に聞けるようになり、
「これは自分の仕事じゃない」といちいち
悩む必要もなくなり、誰よりその人自身が
楽になれる…かもしれない、そんな可能性が
開けてくるのではないかと思うのです。

そうなれば、純粋に子どもの育ちに目を向け
られるようになるだろうし、男女で協力して
問題解決に当たれるようにもなるだろうし、
そもそも「かっこいいかどうか」なんてことを
いちいち理由付けする必要もなくなる。
女性への差別が良くないことは
今さら言うまでもないとして、もっと言うと
「男らしさ」についても育児をする上では
正直「邪魔なもの」でしかないのではないか、
ということになります。

ということで今まさに育児に関わっている
男性の皆さん、
「妻にやり方を指摘されると何かムカつく」
と感じていませんか?
これから育児をやってみようかなと思っている
男性の皆さん、
「こんなもん自分なら余裕でできるはずだ」
と感じていませんか?
はたまた現時点では育児に全く興味のない
男性の皆さん、
「これはそもそも自分のやる仕事ではない」
と感じていませんか?
そういうような感覚があるとしたら、
まず自身の中に女性そのものに対する
差別意識がないかどうか、いま一度向き合って
考えてみてほしいと思います。
そうして自分の内面に気づくことができたら、
それは本当に今の自分に必要なものかどうか、
仮にそれを捨て去ったら一体どうなるのか、
想像してみてほしいと思います。

■社会全体で取り組む問題として

とはいえ、既に自覚できないほど体の中に
差別意識が染み付いている状態で、
そう簡単に考えを変えることなど
できるはずがないのもまた現実と思います。
また男性に限らず、日本人全般に見られる
自尊感情の低さ、「基本的自己肯定感」の
形成されてなさを考えると、
これまでの自分と向き合うという行為は
今以上に自らを否定することにもつながり、
変化に対する恐怖が先に立ってしまう人も
きっと多いのだろうと想像できます。

だからこそこのことを、社会全体が
ちゃんと考えなければならないと思うのです。
社会の構造が、男性の差別意識を生み出した。
だとすればこの問題に取り組み、
解決していく責任は社会にあると思います。
決して男性だけの個人的な問題にしないこと、
そしてもちろんそんな夫を持つ妻に
全てを押し付けて済ませるようなことをせず、
社会問題としてきちんと全員が
目を向けることこそが、第一歩だと考えます。

ここで書いていることは全て、何の専門的な
知識もないただの素人の想像なので、具体的に
「こうすれば差別はやめられる」というような
素敵な解決策を提示できる訳ではありません。
でもきっとどこかできちんと、男性の女性への
差別を生み出す社会的メカニズムについて、
学術的な研究がなされているはずです。
その取り組みがもっと進み、実態が解明され、
対応策も確立され、世間に周知されていって、
それが一人一人の心に根付いていくことが
きっと問題解決への道すじなのでしょう。
我々にできるのは、その後押しをすること。
まずそれが社会全体で解決すべき問題なのだと
認識してもらうために、一人一人が声を
上げていくことなのだろうと思います。

「差別は、する側の問題である」
という話を先日聞きました。
その大前提を忘れずに、
かといって誰かのせいにするのではなく、
でも問題はしっかりと解決されるように、
前向きで建設的な議論と取り組みが
なされていくことを願います。

■選択肢の多い社会になるために

私個人は、男性にもっともっと育児に
関わってほしいと思っています。

それは、現実に育児の現場の人手不足、
つまり育児は母親が一人でこなせるような
生易しいものじゃないという実感もあるし、
一人ではなく多様な人格が関わることが
子どもの育ちにとっても母親の精神衛生に
とっても、良い影響があるだろうという
思いがあるのもさることながら、それ以上に
今のような母親にばかり育児の責任を
押し付ける社会であり続ける限り、
女性が一人一人の自由な生き方を
選択することがかなわないからです。

そして同時に、それは男性にとってもやはり
「育児に関わる権利を剥奪されている社会」
でもある訳です。
ただひたすら働き続けること以外に、
人生の選択肢がないこの社会が嫌なのです。
もう少しバランスよくしたいのです。

今までどおり仕事に専念したい人は変わらず
そう生きられるような、だけど仕事よりも
家のことや子育てにもっと関わりたい人も
同じようにそう生きられるような、
そういう社会であってほしいのです。

だから別に男性に、無理をしてまで
育児をやれというつもりはありません。
むしろ、「俺は育児なんかやりたくない」も、
「男らしさにこだわりたい」も、
胸を張って言ってもらえたらと思います。
男も女も、やりたい人がやりたいことを
やれるのが一番いい。
もちろん現実にはそんなことできっこないのを
わかった上で、でもそれを理想形にして、
じゃあ現実にはどこに落としどころを
持っていけばいいんだろう、そんなふうに
考える流れであってほしい。
誰かが得して誰かが損をするのを、
前提にする世の中であってほしくない。
そういうことで、男性の育児参加も
進んでくれたらと思っています。


最後に、ここからはもう理屈でなく感情で
と断っておきますが、
せっかく縁あって夫婦になって、
しかも子どもまで持つ選択をしたのなら、
やっぱり二人で密にコミュニケーションを
取ってもらいたいし、
互いに協力し合う体勢を作ってもらいたいし、
対等なパートナーシップを築いてもらいたい。

夫だって言うんなら、目の前の妻が何を考え、
どんなことに悩んでいるか、興味持とうよ。
もし妻が死ぬほど苦しんでるなら、
つべこべ言ってないで、動こうよ。
何のために夫婦やってんだ。
好きだからじゃないのかよ。
かっこ悪いくらい何だよ。我慢しろよ。

って、思います。