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シーホースとナッツ

父親目線で、長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育ての記録や思ったことなどを書いていきます。

バランスを取るということ

この度、人生何度目かの、ちょっと大きな
節目を迎えました。いいタイミングなので、
以前からちょっと考えていたことを
ダラダラと書き連ねてみようと思います。

実はこれまで丸5年勤めてきた会社を辞め、
フリーランスになることになりました。
といっても「独立開業」みたいなかっこいい話
ではなく、「5年雇い止め制度」のせいで
元々非正規雇用だった契約が終了したのです。

会社からはありがたいことに、正社員という
選択肢も提示していただきましたが、
そこには総合職としての道しかない為、今の
・子育て最優先
・自分の裁量で早く帰れること最優先
の状況を考え夫婦でよく話し合った結果、
業務内容はこれまで変わらない状態で
フリーにならせてもらうことを選択しました。

未来を考えると不安で死にそうになるので
いま目の前のやれることをやるだけですが、
「日本で子育てするなんてぜいたく」などと
おかしなことを言われないためにも、
たとえ定職に就いていなくても、
シングルインカム・シングルポケットでも、
親兄弟が近くに住んでいなくても、
地縁が何ひとつない土地に暮らしていても、
周りに友達がろくにいなくても、
子育てはできるんだ!ということを
身をもって証明していきたいと思います。
うそです。
別にそんな立派な志は持っていませんが、
少なくとも家族が行き倒れにならないように
精一杯頑張っていこうと思います。

ただ、実はこの「頑張る」ということに関して
少し前から引っかかっていることがあって、
それは「こういう日本人の”自己犠牲精神”が
社会が良くなることを妨げているのでは?」
という考えのことです。

例えばスポーツ選手が、またはアイドル歌手が
自らの身を削ってまで期待に応えようとする。
またそういう行為を、美談としてもてはやす
ような風潮が日本にはあるように見えます。
「個人の頑張りに押し付ける」の話で言えば
子育てにおける母親なんていうものは、まさに
この図式によって長年苦しんできている訳で、
その考え方を改めなければ日本の社会は
ちっとも良くなっていかないのではないか?
という思いも実は持っていたりします。

本当は、つらいのならつらいと言える社会。
誰か一人に負担が偏るのではなく、
全員が手を差し伸べあってやっていく社会を
少なくとも「目指そう」としていくことが
望ましいあり方だと個人的に思っているので、
ここで自分がただ「仕事も家事も育児も
精一杯頑張ります!」と言ってしまうことは
誰かの首を絞めていないか?という問題です。

それはたとえば目の前のヨメだったりするの
ですが、要は「自分が背負い込んで頑張ると
却ってヨメを息苦しくさせないだろうか?」
というようなことを、実はずいぶん長く
頭の片隅で悩み続けてきたのでした。

で、現時点で何となく出ている答えは、
「本人に余力があるならいいんじゃん?」
ということです。
上の「手を差し伸べあって」という社会も、
誰も彼もが同じだけ手を伸ばせと言って
いるわけではなく、その人その人の持てる力や
その時々の状況に応じて「伸ばせる分だけ
伸ばしてね」ということだと思うので、
逆に「今は余裕がないから助けてもらう」も
もちろんアリなわけです。

それで考えると、今の自分自身の状況は
体はいたって健康だし、お母さんが負いがちな
プレッシャーや強迫観念からは自由だし、
男としての規範意識なんて元々感じてないし、
言ってみれば「余裕ありあり」な状態です。
実際にはここ数ヶ月、仕事のピークの時期と
相変わらずイヤイヤMAXのムスメの入園準備、
そして開業に伴なういろんな準備とが重なって
正直倒れんばかりに弱ってはいましたが、
それが落ち着いた上で冷静に状況を考えれば
全然まだまだ動ける立場です。

以前も書いた通り、自己評価が低い人間なので
自分がそういう日本人的自己犠牲精神に
寄って行きがちであることは否定しません。
だからこそ必要なのは、常に自分自身を
チェックする目を持つことではないのかな、
と思っています。
体力面ならあとどれくらい余力があるのか、
精神面では本当にそれは自分が納得して
取り組めていることなのか。
そこに隠れたストレスや我慢はないのか。
そういうことを常に自分でチェックして、
それでバランスが保てると判断できるなら
その時はGOすればいいのだと思います。

先ほどのスポーツ選手などの例も同じで、
本人がきちんと自分と向き合った上で
誰かや何かにやらされているわけでもなく、
納得の上でやりたいと判断していることまで
他人がどうこう言うことではないと思います。
もし冷静な判断ができない状態であれば
その時は第三者の目が必要でしょうが、
本来は自身の自由意志が尊重されるべきです。

しかし、日本において何より問題なのは
「それを他人に押し付けない」という大前提が
あまり徹底されていないことなのではないか、
と思います。
本人がやりたいのならやればいい。
でもそれを見て「お前もやれ」となるのは
おかしい。
できる人もいればできない人もいるのが
当たり前のことで、だから個人の頑張りに
任せたのではバラつきが出るのも当然で、
そこを社会としてちゃんとバランスを取るべく
受け皿を用意しなければいけない。
そういう取り組みを疎かにしすぎてきたのが
今の日本のように感じます。

基本的に、どちらかに偏っているというのは
あまり良い状態ではないのかもしれません。
利他的であることも利己的であることも
それぞれ良い面と悪い面があるわけだけれど、
偏りすぎればバランスが崩れてしまう。
個人で言えばそこは自己チェックをすることで
行き過ぎが起きないように調整が必要だし、
社会もまた然りなのではないかと思います。

ついでにもう一つ、最近Twitterの方では、
出産・育児のことを通じて感じた
日本のあまりの女性差別を何とかしたいと
あれこれ取り組みを行っています。
もちろんこれも余力の範囲でやっていますし、
できないと思ったらすぐ手放すつもりですが、
あれについても「そういうことを言う男性が
あまりにも少ない状況」を見かねて、
バランスを取ろうとしている部分は
あるような気がします。

もちろんいろんな意見があっていいし、
議論そのものの多様性は認められてしかるべき
だとは思っているのですが、
今のTwitterを端から見る限り、あまりにも
女性差別に反対する男性の声が少なすぎる。
だからもし、もっとそちら側の男性の主張が
今後盛り上がってきて、自分の役割が
必要ないと思えた時には、遠慮なく身を引いて
他のことに取り組みたいと思っています。

終始とっちらかったことを書きましたが、
そんなふうに偏り過ぎな状況に入っていって
バランスを取る役目を果たすのが
自分にとってとても気持ちの良いことで、
だから今まで生きてきてずーっと
多数派になったことがないのかな?
ということに気づいた人生の節目の夜でした。

明日からもまた平常営業です。