シーホースとナッツ

長女「きなこ」と次女「あんこ」の子育て中に考えたこと、の保管場所。

「頼る」ということ

ここのところ、Twitterで見かけた
「自立とは、多くの人に依存すること」
という言葉が、ずっと頭から離れずにいます。

我々夫婦はそれぞれに地元を離れて、結婚と同時に
二人にとって初めての地で生活を始めました。
出産にあたっても、里帰りなどは全く考えずに
完全に二人だけでやりくりしてきました。
もちろんそうすることが僕らの選択であって、
それ自体は納得の上であったわけです。

そして退院直後の怒涛の日々も何とか乗り切り、
もうすぐ9ヶ月になろうかという今
だいぶ余裕も感じられるようになってきています。
でも振り返って、やはり二人に思いとして残るのは
このブログでも何度となく書いた「社会への不満」
というものだったりしてしまうのです。

実家には一切頼れない。近くに家族並みの気軽さで
頼ったり出来るような友達もいない。
その状況で我々が考えたのは
「利用できるサービスは何でも利用しよう」
ということでした。
実際、例えば妻の食事などは
お弁当宅配サービスにたっぷりお世話になりました。
オムツも布おむつには早々に見切りをつけ、
無理のない紙オムツで存分に楽をしてきました。
離乳食だって無理せずベビーフードに頼っています。
ただ、一番期待していた「公共のサービス」だけは、
正直言ってこれまでほとんど利用できていません。

それは、手続きの煩雑さや内容のわかりにくさなど
利用するまでの敷居の高さが何よりの理由であって、
それこそその辺を妻に語らせると
もういくらでも文句が出てきそうな感じなのですが、
とにかくその公共サービスに対する失望感こそが
再三に渡る「社会への不満」という名のグチとなって
このブログ上で展開されてきた訳です。

もっともこれはいわゆる八つ当たりのようなもので、
きっと人は想定を超える負担がかかった時に
どこかにはけ口を求めてしまう、
ということなんだろうなとは思います。
もしそれが妻から夫に向けられたときは
「産後クライシス」になるんだろうし、
2人目の子どものケースだったら
上の子がその標的になっているかもしれない。
(うちのネコなんかも若干そうなってる)
結局問題なのは、八つ当たりしないといけないほど
自分達に処理できない負荷がかかっている、
という状態を作ってしまっていることなのだと
思う訳です。

さて、冒頭に戻って
「自立とは、多くの人に依存すること」という言葉。
この言葉に僕が過剰に反応してしまったのは、
きっと自分の中に「できてない」という
自覚があったからなんだろうなぁと思います。
今ダラダラと書いてきたように、
僕ら夫婦は子育ての負担を処理しきれず、
結局多くのストレスを抱え込んでしまいました。
そして産後の大変な時期にもっとも欲しかったのは、
物的なサービスよりも人的な支援だったのです。

特に相談できる相手、そこまでいかないまでも
不安を聞いてくれる相手がいて欲しいんだろうな、
ということは妻を見ていてはっきりと感じました。
区の保健士さん訪問がもっと何度もあったら
どれほどありがたかったかわかりません。でも、
実際にはそれは1回限り。そしてそれ以外に、
我々が頼れる人は一人もいなかったのでした。

それは事前にそういう人脈を作る努力を怠った、
自分達の落ち度だったのかもしれません。
でも二人揃って極度の人見知りの上に
過剰に他人に気を使ってしまう僕らにとって、
「人に頼る」ということのハードルの高さは
結局「自分達で何とかする」ことのつらさをも
超えてしまった、ということなのです。

将来、二人目のことを考えたときに
さすがにこのままで行けるとは思っていません。
何とかしなければという思いがあるからこそ、
今その言葉を見て辛い気持ちになってしまった。
そういうことなのかな、と思っています。
「頼る」ということが「自立」なのかどうかは
わかりませんが、少なくとも確実に自分達自身の
負担を軽くしてくれるものではあるはずなので、
もう少し意識して、これから先はやっていけたら
いいなと思う今日この頃なのでした。