「母の日」より「妻の日」
昨日は母の日でしたね。たくさんの家庭で、
花を贈ったり手作りの品を贈ったりといったことが
繰り広げられたことでしょう。
かく言うわが家でも、今年初めて母になった妻に
これまでお疲れさまの意味を込めて、ささやかながら
ケーキを贈りました。(赤ちゃんと連名で。)
しかし実はこの「母」という言葉が、
最近のモヤモヤの種だったりします。
というのも、僕のキライな「〜ねばならない」の
温床になっている言葉のように感じるからです。
「母親だったら子どもを愛して当たり前」
「母親は子どもとなるべく一緒にいるべきだ」
「母親は子どもに対して全責任を負わねばならない」
というような、言わば以前にも紹介した
「マザハラ」的な考え方が日本には根強くあって、
そういうものに世のお母さん達がすごく苦しめられて
いるんじゃないだろうか…と考えさせられることが
最近やたらと多くあります。
僕自身も、父親になるにあたって「父親たるもの」
という周囲のプレッシャーを少なからず感じたり、
自分自身が気負ってしまったりしたわけですが、
そんなものとは比べものにならない強い固定観念が
「母親」という言葉には付きまとっているように
見えて仕方ないのです。
またそういう凝り固まった価値観を押し付けてくる
人達に対して、「これだから古い世代は…」と
文句を言えるくらいの人はまだ良くて、中には
「ああ、そういうものなんだ」と真に受けてしまって
゛求められる母親像゛に近づこうと必死になったり、
理想とのギャップに日々苦しめられている母親
というのも、少なからずいるんだろうと思います。
そういう辛い思いをしながらも
頑張っているお母さん達が、
それはいろいろある価値観のうちの
一つでしかないんだということに気づいて、
すこしでも肩の力を抜けるようになったら
いいのにな、と思うのです。
そもそも「お母さん」なんていう呼び名も、
実の子どもが使う場合以外は全部
単なる社会的な肩書きの意味でしかないわけですし。
決してその人個人のひととなりを表した言葉では
ないんだということを、呼ぶ方も呼ばれる方も
もう少し意識した方がいいんじゃないかと思います。
恐らくママ友たちの間で盛んに使われているであろう
「○○ちゃんママ」的な表現なんかも
すごく違和感を感じるのですが、あれなんかも
もはや代名詞でしかないわけですよね。
その人の個性をあらわしたものでは全くない。
それをちゃんと「○○さん」と
本人の名前で呼び合うようにするだけでも、
意識というのはだいぶ変わるんじゃないかと
思うんですが、どうでしょうか。
というわけで僕自身も、昨日は母の日だから
お祝いをしたわけではなくて、大好きな妻が
毎日頑張っているのをねぎらいたくなった日だった、
ということにします。